季刊『せりふの時代』2008年春号
新連載「ハロー!ステージ」
安倍なつみ殿とメロン記念日のみなさんのインタビュー。
いささか乱暴な読み方をお許し願えると、両者ともに共通して語っているのは、
「歌も演技も、表現するという意味では同じ」
ということ。
以前、『上海バンスキング』について触れた拙文(http://d.hatena.ne.jp/captain-tanzawa/20080323)にて、吉田日出子殿の、
「音楽やるのも芝居のひとつと考えています」
という言葉を引用したが、逆もまた真なり、ということであろう。
俳優からアプローチした歌。
歌手からアプローチした演技。
それは、山のそれぞれ反対側から同じ鉱脈を掘り当てたようなものなのかもしれない。
もうひとつの共通した発言は、
「芝居には正解がない」
ということ。
面白いのは、安倍殿が“枠”の中から自由にはみ出そうとしているのに対し、メロン記念日が“集団”の中のチームワークということを意識していること。
これは一見、相反しているように思えるが、実は同じなのである。
読んでみるとわかるのだが、安倍殿の言う“枠”というものが比較的ミニマムなものを表現しているのに対し、メロンの“集団”という表現はやや大きな枠を指しているのである。
これは、安倍殿がべつにわがままな演技をしようとしているのではなく、「安倍なつみ」という役者が、小さな枠からはみ出すことによって、役者陣の全体のバランスがより良くなる作用を担っているわけであり、彼女自身も、自由に演じることによって他の役とのより良い関係性を模索しているのである。
(むろん、安倍殿がインタビュー中に触れている通り、そこには演出家の意図というものがあるのだが)
銀幕時代の映画スターたちが「ライバルよりもアップのカットが少ない」と文句を言った、などという次元のことではないのである。
一方、メロン記念日というグループは、結束すればするほど四人の個性が際立つ、という妙なグループである。
彼女たちは、クセのある本業の役者たちとのバランスを考えて、「そこにちゃんと溶け込んでいけるような演技がしたいなという意識」(大谷雅恵)がある。
それは、「それぞれの個性を大事にしながらも」(村田めぐみ)チームワークを育んできた彼女たちならではのものづくりの作法なのであろう。
総じて、五人ともが「演技陣の中の自分」ということを強く念頭においており、その中で自分をいかに生かしていくかを意識している。
ごく自然に、そういったことを意識してやれるということ。
それが、ハロプロという集団の中で研鑽を積んできた者たちの利点でもあり、また大きな武器なのだと思う。
最後に、大谷雅恵殿の言葉。
「見てくださる方の感想がすごく気になるので、感想を聞かせてほしいんです。『好きな人の舞台だから、なんでもOK』じゃなくて、みなさんが感じた本当のところを教えてほしいんです。なにをやってもOKというのは十代まででいい。もうメンバーもみんな大人で人間なので、正直な感想を聞かせてほしいなと思います。」
「人間なので」ってのが、ちと意味不明だが…。
(「もう、お人形さんではありませんよ」ということであろうか?)
以上、承知つかまつった、と言いたいところだが…、しかし、これ、難しいな。
演劇を批判する場合、その対象はどうしても作家や演出家に行ってしまう。
たとえ役者がどんなにダメであっても、最終的な責めは作家なり演出家なりが負うべきである、と筆者は考える。
ちなみに筆者は、『私を土星に連れてって』の時のアンケートに、かなり批判めいたことを書いたつもりだが、それも主として作家や演出家に対するものであった。
まあいい。
ともあれ、なんとかしてみよう。
…いや、べつに、無理して批判するつもりはないのであるが。
