南アルプス天然少年団

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通りすがりの傍観者の足跡。

アップアップガールズ(仮)1st全国ツアー アプガ第二章(仮)進軍〜中野へ向かって〜岡山決戦(5/11)その1・ももクロの街の巻

アップアップガールズ(仮)1st全国ツアー アプガ第二章(仮)進軍〜中野へ向かって〜
☆5/11(日) 岡山決戦! 
*岡山CRAZYMAMA KINGDOM 
OPEN 16:30/START 17:00
<CD予約受付・販売開始 15:00/握手会 16:00〜>

http://ameblo.jp/upfront-girls-news/entry-11843977675.html

CRAZY MAMA GROUP
CRAZY MAMA GROUP


岡山のうなぎ

佐藤綾乃殿に言われた通り、倉敷から19分電車に揺られて岡山駅に戻る。


ちょうど駅前商店街で「桃太郎市」というのをやっていて、うなぎのつかみ取り(子供限定)をやっていたので見物。


美味しそうだったので、そこで地元産のうなぎを使ったうな丼で昼食。


「モモ」と「クロ」

まだライブ開演までには時間がある。
これも岡山名物の路面電車(岡電岡山電気軌道)に乗って岡山城へ向かった。
(というわけなので、アプガはなかなか出て来ません。あしからず)

この岡電にはいろいろな車両があって、中でも人気なのは「MOMO(モモ)」と「KURO(クロ)」らしい。
「そうか、ももクロか…(笑)」
岡山ということで桃太郎の「MOMO」、城壁が黒い岡山城からの「KURO」ということらしいが、うまいこといったものである。
岡山電気軌道株式会社 電車事業本部(路面電車)
いろんな電車


筆者が乗ったのは「MOMO」であった。






岡山城

岡電を降りて、道路を渡る。
日本三名園のひとつ・後楽園を左手に見ながら川沿いを進むと、岡山城が見えて来る。

この川(旭川)は、岡山城を築城した宇喜多秀家が城の要害として利用するために城をぐるっと囲むように流れを変えたのだという。
写真を撮っていると、後楽園の写真を撮りに来ていた人生の先輩氏に、
「綺麗ですよねぇ」
と、声を掛けられた。
「そうですね」と答えると、
「今日は写真を撮るのに絶好ですよ(笑)」
との笑顔であった。



天守閣や城壁が黒いので「烏城(うじょう)」「金烏城」の別名がある。
川面に映える金烏城 ― 岡山城
築城したのは前述の通り、豊臣五大老の一人である備前中納言宇喜多秀家
この時期、ちょうど大河ドラマ軍師官兵衛』でも宇喜多直家(秀家の父。演=陣内孝則)の動向が描かれている時だったので、ちょっとタイムリーではある。
しかもこの前日の5月10日が江戸時代になってからの岡山藩初代藩主で、江戸初期の三名君の一人とされる池田光政の生誕日(1609年5月10日生。旧暦慶長14年4月4日)であった(三名君の残る2人は水戸藩主・徳川光圀会津藩主・保科正之)。
池田光政 - Wikipedia
そして翌日5月12日が“侍魂仙石みなみ殿が敬愛してやまない織田信長の生誕日(1534年6月23日生。旧暦天文3年5月12日。異説あり)。
5月11日生まれの武将は居ないかな?と思って探したら、丹羽長重(信長の重臣・長秀の子。会津白河藩主。1571年5月11日生。旧暦元亀2年4月18日)が居た。
池田光政の高祖母・養徳院(池田恒興の母)は信長の乳母、丹羽長重の母は信長の兄・信広の娘で(信長の甥にあたる)、長重の妻は信長の娘である。
織田信長ゆかりの日々であった。


天守閣は太平洋戦争時の空襲で焼失しており、現在のものは戦後(1960年代)に再建されたもの。
宇喜多秀家関ヶ原で西軍に属して敗戦、八丈島に流されたあとは西軍から東軍に寝返った小早川秀秋岡山城主となり、秀秋が数年して病没すると池田忠継が城主となった。
以後、幕末まで岡山は池田氏の支配が続く。
歴代岡山城主/岡山シティミュージアム デジタルアーカイブ
宇喜多秀家小早川秀秋豊臣秀吉の養子分であり、池田忠継は徳川家康の孫(母が家康の娘・督姫)。
そういう権力側の縁者が城主となる城というわけで、つまりは重要な地であったということだ。


このため城内の展示は宇喜多氏時代から小早川氏、池田氏時代のものまであった。
岡山城 - 川面に映える漆黒の城
明善寺合戦(宇喜多直家×三村元親)を描いた立体映像を見物。
直家は基本、謀略でのし上がった人物で、合戦らしい合戦はこの時しかないらしい。
宇喜多秀家の生涯については母・円融院の語りという形の映像展示がある。
円融院は絶世の美女であったらしく、宇喜多秀家が秀吉に重用された理由のひとつは、直家の死後に彼女が秀吉に愛されたからとする説がある。司馬遼太郎『豊臣家の人々』の「宇喜多秀家」の項もそういう記述だった(以前、橋田壽賀子脚本で円融院を主人公にドラマ化されている)し、『軍師官兵衛』もその説が取られていた(演=笛木優子)。
池田氏時代の大名籠は中に入れるようになっていて、ちょうど乗ろうとしていたカップルがに写真を頼まれた。



天守から見た後楽園。

後楽園は前述の池田光政の子・綱政の代に作られたもの。
岡山後楽園 - 岡山後楽園公式サイト
後楽園 - Wikipedia
後楽園を観に行く時間はなかったので割愛。


CRAZYMAMA KINGDOM


岡山城から会場のCRAZYMAMA KINGDOMまでは路面電車を使っても行けるが、天気がいいので歩いて行った。


岡電の通る広い道をゆく。

これはなんという型であろう?
まぁ黄色だし、とりあえず「SAHO」としておこう(笑)
途中一服していたら、アプガの曲を鼻歌で歌っている人に追いぬかれた。


15分ほどで到着。

既に物販が始まっていた。
近くに緑道公園があるので、景色を見ながら休憩も出来る。
会場に着いて気になったのは『ジャンプ禁止』の掲示があること。
ビルの4階なので、階下に気を使ってのことらしいが、じゃ『ジャンパー!』の時どうするんだ?


16:00から開演前の握手会。わりと低速。
握手順、新井←佐藤←佐保←関根←仙石←古川←森。
岡山城行ってきた」
仙石「いいなー」
そういえば、大抵の場合城めぐりをするアプガ、今回岡山城には行けなかったよう。
「行ってきたぜ!岡山決戦 こなつ」 | アップアップガールズ(仮)オフィシャルブログPowered by Ameba

次行くときは
岡山城に行きたいな〜

なお、『ジャンプ禁止』の掲示が気になった人も多く、この握手会でメンバーに確認した人も居たらしく、「大丈夫」とのことであった。


16:30開場。
整理番号順に入場。
このツアー、整理番号1番から100番までは通しチケットらしい。
筆者は100番台の最初の方だったが、80番あたりから100番までの人は居なかった。
律儀に「85番の方」「86番の方」と呼ぶ係員氏であるが、誰も居ないので、
「何番ですか…?」
と、待っている人たちに訊いたところ、あとは皆100番以降のようであった。


中へ入ると、キャパ700人とのことであったが、実際には500人程度であろうか。
7〜8割の入り。しかし快適そうな空間。
下手前方に女性限定エリア。
地元参加の方もおられたようである。


開演前アナウンスの諸注意。
「…そのような行為をなされますと、“決戦”を一時“休戦”、場合によっては“終戦”とさせていただきますので…」
で、場内が沸く。




――つづけ――