南アルプス天然少年団

南アルプス天然少年団

通りすがりの傍観者の足跡。

『FAMILY OF THE DEAD』まとめ

公演終了につき、ネタバレ制御機能停止。
会話中、芝居のラストや登場人物たちの「その後」についても触れているので、未見でDVDを楽しみにされている方は読まないか、ななめ読みして下さい。





ある日、東京に人間をゾンビ化するウィルスが撒かれ、ほとんどの人々がゾンビになってしまう。
街中にゾンビが溢れかえっていて、人を見ると襲って来、咬まれた人もゾンビになってしまう。
しかし、わずかながら無事だった人々もいて、ヒロイン・咲良(サラ=村田めぐみ)の家に集まってくる。
近所の様子はかろうじてわかるが、TVもラジオも携帯もインターネットもダメになっていて、全体の状況はわからない。


…という設定。


前作『宇宙にタッチ』が宇宙人が来訪する話で、わかりやすい設定だったのに対し、今回はいろいろと設定がややこしい。
観客は、ゾンビよりも宇宙人の方が想像しやすいわけである(笑)


咲良は婚約者の勉(ベン=武井シュウイチ)を家族(父母妹)に紹介しようと実家に連れて来たら、家族がゾンビになっていた。
だからウィルスが撒かれた時には、東京以外の場所にいたのであろう。
ジョー(大谷雅恵)も無事だったのは理解出来る。
彼女はカルト教団の教祖に指示されてウィルスを撒いた張本人なので、なんらかの予防手段を持っていたはずである。
しかし、賃貸にしてある咲良の家の二階の住人たち・諸井(ロイ=山村真也)と槙原(半田直)はどうしてゾンビにならなかったのだろう?
他の場所にいたのだろうか?
友野(ユウ=岩崎亮)とケイト(斉藤瞳)の兄妹もそうである。


食糧と水とに不安があるものの、極限状態というわけでもなく、ウィルスが撒かれたのは東京だけで、日本が滅びたわけではない。
だから登場人物たちには、いずれ救出されるだろう、という希望的観測がある。
食糧はスーパーやコンビニの倉庫から「調達」してくればいい。
外にいるゾンビに襲われることはあるが、動きがノロいのでなんとかかわせる。
これがもっと危険な極限状態であるならば、彼ら彼女らは生きること、助かることにもっと必死になるはずだが、そこまでではなく、槙原の言う「ヌルい」状況。
だから登場人物たちは助かった場合のこと、次のことを考えるわけである。
勉は咲良との結婚生活であり、友野はケイトに本を書かせての金儲けに思いをはせる余裕がある。


また、その状況に生き生きとする人々もいる。
諸井はゾンビをかわしたり倒したりして、みんなの食糧を調達することによって、生き甲斐を感じている。
それはかつて「要らない人間」とされ、自らもまた自身に無能の烙印を捺した彼が、初めて他人に必要とされた喜びによるもので、ジョーに「師匠」と仰がれたことで一層増大してゆく。


ケイトはどうか?
憧れの芸能人になれたとはいえ、マネージャーの兄・友野の言いなりであった彼女は、初めは兄に強制されていたものの、「記録を残す」ということに、自らの生まれてきた意味を見出していく。


事情が特殊ながら、ジョーもまたそうで、ウィルスを撒いたことに対する罪の意識から「償い」という方向に生き甲斐を見つけてゆくのだ(不幸な見つけ方だが)。


一方、これも状況を楽しんでいるかに見えた槙原だが(当初はその状況にワクワクしたのではないか?)、次第に「ヌルい」状況が明らかになるにつれて、周囲とは一線をひくようになる。
彼の場合は、生き甲斐というよりも死に場所を探しているわけで(HIV感染者であることが告白される)、むしろこの状況が不満で仕方なく、みんなが助かりそうな状況にむしろ絶望してゆく。


問題は咲良と勉である。
騒ぎが収まり、外のゾンビたちが制圧されたあと、家族をどうするのか?という問題だ。
おそらく咲良はゾンビになった家族を隠したまま、一緒に暮らしていくであろう、という予測。
その場合、困った立場におかれるのは勉である。
「二浪して三流大学を出て四流企業に就職した」彼は、「咲良だけが生き甲斐」であり、登場人物の中では最も平均的な価値観を持っている人物である。
しかし、その咲良は自分をほったらかしてゾンビになってしまった家族につきっきり。
婚約者の家族は助けたい。しかし隠して一緒に暮らしてゆくには自分の安月給ではとても養っていけない。


咲良の方は実はもっと複雑で、「優秀な妹に対するコンプレックス」ということが劇中で語られているが、どうやら善人であった父、優しかった母に対してもコンプレックスを抱いていたようで、むしろ自分が家族の主導権を握っている現在の方がいいと思っているのではないかというふしがあるのだ。


これ、一歩違えば、安楽死の問題にもつながる題材である。


劇中のジョーのセリフ、
「みんながやりたい仕事につける世の中になればいいのに」。
その言葉に半分は同意出来ても、半分は同意出来ない咲良。
人間は感情のまま、欲望のまま生きて、それで幸せになれれば一番いい。
しかし、なかなかそうもいかない事情がある。
他人とはどこかで折り合いをつけねばならない。
他人に譲らなかったばかりに、無用の恨みをかって足を引っ張られるのはかえって損だ。お金の問題もあるし…。
「自分の気持ちに正直に」という美しい言葉が、時と場合によっては、わがままを取り繕う言葉にしかならないことを、多くの人は経験で知っている。


「みんなが救われる物語」
と、冒頭の字幕にあったが、ジョーは果たして救われたのだろうか…?
アフタートークショーで語られていたジョーのその後。
「ロイと一緒に消えている」
おそらく違うだろう。
劇中のジョーの性格ならば、自首すると思うのだが。
待っているのは、罪一等減じられて、無期懲役…?
やや疑問が残る内容ではある。


ジョーがウィルスを撒いたのち、何故後悔したのかについての説明が不足しているものの、登場人物一人一人の感情の動き、心の変化はわかりやすいし興味深い。
しかし、なにぶん最初の設定がややこしい為に、今ひとつ、身に染みるものにはならなかったのが残念である。