南アルプス天然少年団

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通りすがりの傍観者の足跡。

Berryz工房とジンギスカンと義経と弁慶の泣き所

で、『ジンギスカン』である。


どういうわけか話の流れでこのブログ、義経の話題が多くなってるが(原因は吉澤ひとみ様であると思われる)、今度はジンギスカンである。


Dschinghis Khan(ドイツ語オリジナル/英語)、マルコポーロ、5カラット(日本語)、原たかし(日本語)、ザ・モンゴルズ(日本語)、川崎麻世(日本語)、レニングラードカウボーイズ(日本語)、リン・ツーシャン(広東語)…。


…とまぁ、いろんな人が歌ってるわけである。
(まだあると思う)


『今回のシングルは、2008年1月4日から28日まで、平岳大主演、市川猿之助総合演出、ルテアトル銀座で上演される、「ジンギスカン〜わが剣、熱砂を染めよ〜」のテーマソング!
70年代のディスコシーンの代表曲をつんく♂プロデュース、ダンス☆マン編曲による、ごきげんなディスコサウンドでお届けします。』


しかし、Berryz工房がカバー曲を…というと、どうしてもシニアグラフィティの舞台『東京』での劇中の新聞見出し、
佐渡おけさがラップになり、Berryz工房が歌う」
を思い出してしまう筆者である。


ところで、「義経は平泉では死なず、北海道に渡り、さらに大陸に渡ってジンギスカンになった」説であるが、
義経ジンギスカンの戦法が似ている」
(とくに騎馬隊によるもの。近代軍事用語でいう「騎兵の集団運用」)
と主張する人もあるが、多くは政治的に利用されたものらしい。


江戸時代には、アイヌ民族を懐柔する為(義経アイヌ民族をこよなく愛したことになっている)。
明治維新後には、北海道開拓を促進させる為。
大正末期〜戦前にかけては、大陸進出を推進させる為…。


戦前、日本軍がモンゴルに駐留していた際に、あるモンゴル人が、
「日本人はジンギスカンまで取らなくてもいいじゃないか」
と抗議した、という話もあって、なんだか申し訳ない気になってしまう。


そういえば筆者が以前観た小劇場の舞台で、ジンギスカンの息子・ジュチが主人公の物語があったのだが、この話に出てくるジンギスカン義経ということになっていた。
ジュチに「じい」とか呼ばれている弁慶や、伊勢三郎など他の家臣たちも出てきて、時々日本に居た頃の昔話に花が咲く…。


Berryz工房には、モンゴル人を嫉妬させるくらい頑張ってもらいたいものである。