南アルプス天然少年団

南アルプス天然少年団

通りすがりの傍観者の足跡。

イギリス海岸

さて、メロン記念日赤坂BLITZでライブをしていた9月21日は、宮沢賢治の命日でもあった。



賢治命名「イギリス海岸」姿見せて 命日にダム放流制限


宮沢賢治の作品の舞台として知られ北上川河畔にある国の名勝「イギリス海岸」(岩手県花巻市)が、ここ10年来、川底に水没してほとんど姿を見せなくなり、訪れる賢治ファンをがっかりさせている。このため国土交通省は観賞できるよう北上川の三つのダムの放流を一時的に最小限まで絞り込む方針を決めた。賢治の命日の21日に実施される。
2008年9月21日(日)06:18

http://www.asahi.com/national/update/0921/TKY200809200215.html


このイギリス海岸にはずいぶん以前に行ったことがあるが、現在そういうことになっているということは、まったく知らなかった。
しかし、国土交通省もたまには粋なことをするものである(国の名勝地に指定されたのが大きいのだろうが)。



日が強く照るときは岩は乾いてまっ白に見え、たて横に走ったひゞ割れもあり、大きな帽子を冠ってその上をうつむいて歩くなら、影法師は黒く落ちましたし、全くもうイギリスあたりの白堊の海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。


それに実際そこを海岸と呼ぶことは、無法なことではなかったのです。なぜならそこは第三紀と呼ばれる地質時代の終り頃、たしかにたびたび海の渚だったからでした。


それにも一つこゝを海岸と考へていゝわけは、ごくわづかですけれども、川の水が丁度大きな湖の岸のやうに、寄せたり退いたりしたのです。
宮沢賢治『イギリス海岸』より抜粋)


この作品中でも触れられているが、執筆中にこのイギリス海岸で第三紀偶蹄類の足跡の化石が発見される、という出来事があり、この為、のちの作である『銀河鉄道の夜』に登場してくる「プリオシン海岸」(七章。主人公・ジョバンニとカムパネルラが化石の発掘を見学する場面)のモデル、とされている。




筆者が訪れたのは、宮沢賢治生誕100年祭の時(1996年)のことだから、もう12年前になる。
まだ、弟の宮沢清六氏がご存命だった頃であった。
水位はやや高かったが、まだなんとか見えていた。
記事を読むと、見える時期にぎりぎり間に合っていたらしい。
とはいっても、賢治先生の頃よりは“海岸”はだいぶ狭くなってしまったようである。
地元出身の宮沢賢治研究家・林由紀夫氏の著書『宮澤賢治フィールドノート』(集英社)によれば、戦後、北上川の水量が増え、たびたび堤防が決壊し、周辺の家屋・田畑に被害が及んだ為に、改修の手が施された為だそうである。
だから、筆者が見たイギリス海岸は、賢治先生が見たものとは違うイギリス海岸になってしまっていたわけである。


ところで、宮沢賢治は地質学的な見地からも、イギリスのドーバー海峡の地質に似ている、と主張しているが、彼はイギリスには一度たりとも行ったことがないわけで、そういう知識、というよりも想像力には驚かされる。
そういえば、『イギリス海岸』にも『銀河鉄道の夜』にも、子供の水難に関する記述が出てくるが、『銀河鉄道〜』の方にはタイタニック号の沈没事故を思わせる挿話がある(九章「ジョバンニの切符」の青年のセリフ「氷山にぶつかって船が沈みましてね。」)。
タイタニック号の事故は賢治16歳の時だが、現代とは違う海外の情報量だったはず。そういう、知識・情報に対するどん欲さには敬服するしかない。




ところで、結果は…?



イギリス海岸ちらり出現 賢治の命日に挑戦


宮沢賢治が名付けたことで知られる岩手県花巻市北上川河畔の「イギリス海岸」を川底から出現させようと、賢治の命日に当たる21日、国土交通省北上川ダム統合管理事務所(盛岡市)が上流にあるダム放流量の絞り込みに初挑戦した。雨の影響もあって岩の一部が顔をのぞかせただけで、約10年ぶりとなる名所の観賞は実現しなかった。
国直轄の四十四田、御所、田瀬各ダムでは20日夜から一時的に放流量を最小限に抑えた。海岸付近の水位は通常より数十センチほど下がったが、低下は河川中央部の一部が浮かび上がったところでストップした。朝方から昼すぎまで降り続いた弱い雨も影響したとみられる。
集まった約100人の市民らは残念そうな表情だったが、観光で訪れた東京都の主婦(56)は「賢治ゆかりの風景の雰囲気は楽しめた」と話した。
2006年には国の名勝「イーハトーブの風景地」に指定され、地元賢治ファンや市からの要請を受け、ダム統合管理事務所は2年がかりで放流調整を検討してきた。
事務所は「支流からの流入も影響する」とみており、今回の結果を来年度以降の取り組みに反映させる方針。
海岸周辺の環境整備に携わる「ドーバーファーム市民の会」会長の佐藤匡男さん(80)は「水位があと20センチも下がれば観賞できるはず。イギリス海岸は花巻の宝で、成功するまで毎年続けてほしい」と期待した。
2008年09月22日月曜日

http://www.kahoku.co.jp/news/2008/09/20080922t35013.htm


残念ながらうまくいかなかったようだが、来年以降、期待出来そうではある。
しかし、考えてみれば、宮沢賢治が「イギリス海岸」と名付けなければ、数十年後にこうやってお役人さんたちが必死になることもなかったわけで、人と人との出会いもあるが、人と土地の出会いというのもあるんだな、なんて思ったりもするわけである。