南アルプス天然少年団

南アルプス天然少年団

通りすがりの傍観者の足跡。

『かば3』感想

公演終了につき、ネタバレ防止機能停止中。
未見でDVDを楽しみにされている方は読まないか、斜め読みしてください。




菅原家の現在と過去との補完

『かば』が父・謙太郎の葬儀の日から、『かば2』が三回忌の日から始まるこのシリーズ。
今作も同じように、『2』のオープニングからちょうど一年後、父の命日から始まる。
但し、今回はその一日…というより、最初から昼なので、半日の出来事だ。
しかし、たった半日で、いろいろと起こる家だ…(笑)
『かば2』での時任(小高仁)のセリフ、
「相変わらず、騒々しい家だな、この家は!」
が甦る…。


さらに、菅原家の「現在」だけでなく、「過去」の場面、父・謙太郎の生前、すなわち一作目以前のエピソードが挿入されるのも今回の特色。
一作目でセリフのみで語られていた部分のエピソードなども、芝居の部分で再現されている。
恵理ちゃん(鉄炮塚雅よ)が若菜(柴田あゆみ)の心の病に気づき、謙太郎(あいざわ元気)に相談していたこと、
謙太郎はそのことで寺岡(Nao)に何事かを語っていたこと、…など。
また、悦子(村田めぐみ)が父の蔵書(シュバイツァーの本)についてわりと知っていたのは、ああ、そういうことだったのか…、などとわかるようになっているのも楽しい。


しかも、前二作の舞台装置が菅原家の一階だったのに対して、今作は二階。
実際のところ、最初に場内に入った時、ステージに初めて見る菅原家の二階のセットが建っているのを確かめた時に、
「さあ、今まで足りなかった部分を穴埋めして、すべてを明らかにしてやろう…」
という作り手側の意志を感じた。


新しい話に過去の話が挿入されて、全体が明らかになっていく…という、映画『ゴッドファーザーPartII』(アカデミー作品賞受賞。“映画史上最高の続編!”)のような展開。
生前の父のエピソードが加えられ、親子の絆がより濃厚に…というのも同じ。
あいざわ元気氏はロバート・デ・ニーロか!?



「過去の話に戻る」
というのは、『かば2』のアフタートークショーにて、斉藤瞳殿が紹介していた中野順一朗氏(英ちゃん役)の意見。
その時、演出の太田善也氏が冗談まじりで言っていた、
「みんなセーラー服着てるとか…?(笑)」
まで、一部実現していた。
さすがに「みんな」ではなく、末っ子の若菜だけだったが…。
(まぁ、姉妹の年齢差があるからね)


弥生(斉藤瞳)が小学生の頃、木にばかり登っていた、というエピソードは、『アイさが』最終回の空中ブランコの時やら、『極上メロン』DVDの特典映像の神戸チキンジョージの時やらの、ハシゴをすいすい登っていく姿(「大工の娘ですから!」)を思い出して笑ってしまった。



姉妹たちの成長

まず、弥生(斉藤瞳)。
劇中、玲子(大谷雅恵)のセリフにあるように、
「子供を産むと強い!」。
細かいことに動じなくなった。
母親としての立場から、リオナ(岡井明日菜)を諭す場面など、「さすが」と思わせる言動。


奇しくもアフタートークショーにて、「他の役をやるとしたら…?」という質問に、
斉藤「練馬京子さん」
と答えていたが、前二作で顔を合わせれば弥生に説教していた京子さん(鈴木佐和。『かば』『かば2』に登場)が今回登場しないのも、弥生が成長したためにその役割を終えたから、という解釈も出来るかもしれない。


しかし、謙太郎と英ちゃんの遺伝子を受け継いだ依舞(イブ)と舞愛(マリア)って…(笑)
いったいどんな人物に育つのだろう…?
一作目から感じていたのは、謙太郎と英ちゃんは、性格や言動、普段はヘラヘラしているが、いざという時に意外と頼りになるところなどがそっくりなのである。
だから弥生(姉妹の中では比較的謙太郎との関係が良好だった設定)は、英ちゃんのことを好きになった、と思っているのだが…。




若菜(柴田あゆみ)。
周囲の期待におし潰されていた過去を克服し、現在ではむしろ周囲の期待をうまく利用(笑)…よくいえばポジティブに考えられるようになっている。
近い境遇の少女・リオナ(岡井)に、なんとかしてやろうと手をさしのべるあたりは、一作目のアフタートークショーにて、
柴田「若菜は自分の辛い経験を生かして、介護の仕事をやってると思います」
と語っていたことが、ちょっと違った形だが実現している。




こう考えると、アフタートークショーというやつは、ヲタだけじゃなく、作り手側にもちゃんと役立ってるんだなぁ…と、思わざるを得ない。




さて、玲子(大谷雅恵)は、金田さん(キムユス)を励ますセリフからも、自信を持って、自分の道を歩いているように見える。




悦子(村田めぐみ)は…?




あんまり変わってないような…。




いや、この人に関しては、あんまり成長してほしくないような…(笑)
長女が頼りない…っていうのが、このシリーズのポイントだから…。




いとこのしとね(三好絵梨香)。
今作では、いったい何がどうしてどうなっちゃったんだか、占い師になっている彼女。
ただ、『かば2』で、妊娠した弥生に、
「妊娠すると霊感強くなったりしません?」
と訊ねたりしていたので、もともとそういう方面への興味はあったようである。
だから、成長といえば成長といえなくもない…。
前作で垣間見ることの出来た適当さ加減は、たいへん“成長”しているのだが…。




もう一人、成長している人物が金田さん(キムユス)である。
『かば』ではやけに弱々しく、玲子(大谷)に突き飛ばされて吹っ飛んでしまうほどだったのが、花粉症なのは相変わらずだが、アフリカに行ったのは伊達ではなかった…と感じさせるたくましさを見せてくれる。
以前を知らない江波ちゃん(ヒルタ街)やしとね(三好絵梨香)にはまだまだ頼りなく見えるものの、玲子に励まされ、江波ちゃんにアドバイスされ、しとねに占われたたあとは…。
「目に見えていることはほんのわずか。目に見えないことの方が、知らないことの方がたくさんある…」
間違った道に迷いこんだリオナ(岡井)を正しい方向へ導くセリフは、このシリーズの主旨としても、やはりこの人が言わなければならなかったはずだ。



シリーズとしての強み

前述の金田さんの花粉症(キムユス氏はホントに花粉症らしい)や、江波ちゃん(ヒルタ街)はコーヒーが飲めない…など、相変わらずな設定も健在で、一作目から観ている観客には嬉しい内容。


『かば2』では故障していて、ノリ君(郷志郎)が悪戦苦闘してもどうにもならなかった菅原家の呼び鈴は、さすがに一年たっているので修理されたようである。
『2』では、この呼び鈴が壊れている、というのが各エピソードのキーポイントになっていたが、今作では、舞台が二階だということもあり、直っているのが効果的に作用しており、大活躍だった。


さらに、姉妹揃って亡き母の歌『手をつないだ、春の夜』を歌う場面も、歌う前後の姉妹のセリフが一作目とまったく同じだったりすることなども、心憎い演出である。



新たな登場人物たち

具志堅(谷中田善規)
『かば2』でしとね(三好絵梨香)が担っていた、『かば』シリーズ初見の観客に対する案内役。


探偵かぁ〜。
そりゃいろいろと詳しくて当然なわけだ…。




リオナ(岡井明日菜)。
周囲の期待がプレッシャーとなってしまっている、“第二の若菜(病気の時の)”になる危険性をはらんだ少女。
姉妹にそれぞれ辛辣な言葉をはく場面なども、
「いいコじゃなくなりたい、無理してでも悪いコになりたい」
という心情がよく現れている。
また、若菜(柴田)だけがその内面を理解出来るというのも納得出来る。


そして、リオナの出現によって、再び現れることになる梅ちゃん・江波ちゃんコンビ(川原万季・ヒルタ街)。
シリーズ中唯一の悪役といってよかったこのコンビのうち、梅ちゃん(川原)の愛情と苦悩を描くことにより(江波ちゃんは元より悪人ではないので)、
「結局、悪い人は誰もいませんでした」
というメデタシ、メデタシ的な結果に。




元春(椎名茸ノ介)。
外見に似合わず妙なところで生真面目、というキャラクターは、
「人は見かけによらない」
という、『かば』シリーズの統一されたテーマに沿った人物といえる。
名字が「佐藤」という普通さも、それを象徴しているように思う。




姉妹の他では三作通して登場しているのが、
「どう見ても女(それも美女)にしか見えないが、実は男」という寺岡(Nao)と、
「外見や喋り方はバカっぽいが、いちばん人を見る目がある」恵理ちゃん(鉄炮塚雅よ)、
という、テーマをいちばん象徴している人物であったことは偶然ではないだろう。




その寺岡は…。


一作目の冒頭で、謙太郎の恋人か?…と誤解されるものの、本人が否定したり、実際には男であることなどから、やや謎であった謙太郎との関係。
しかし、今作の、謙太郎が具志堅(谷中田善規)を紹介しようとする場面や、ラスト近くの謙太郎を想って嗚咽する場面で、やはり謙太郎を愛していたのだ…、ということが確信出来る。
となれば、彼女――いや彼だ(笑)――にとって、菅原家の四姉妹とは、愛する人が何よりも大切にしていた宝物なわけであって、『かば2』における、姉妹たちに対する親戚以上に親身だったり、献身的だったりした振る舞いも、おおいに納得出来るのである。



「カバの檻の前に集合!」

『かば3』のテーマともいえるのが、父・謙太郎のセリフ、
「迷子になったら、カバの檻の前に集合!」である。




その父・謙太郎を演じたあいざわ元気氏。
娘たちから見て、「女好きでいい加減」なお父さん。
寺岡や時任からは、
「頼りになる人だった」
と語られる謙太郎。
その二面性を矛盾なく演じる苦労は想像するに余りある。
一作目でセリフで語られていた、間が抜けていれば抜けているほど、それが娘たちや他人のために一生懸命なだけに、逆に感動的だった謙太郎のエピソード。
それは、実際の人物が演じることによって、やや半減してしまったきらいはあるものの(これは仕方ない)、全般的には好演が目立っている。




「集合場所を作っておかなきゃダメなの…!」
という、物語終盤の悦子(村田)のセリフは、その「集合場所」が何を象徴しているかはわかるとして、父の遺志を継いでいこうとする、彼女なりの決意の現れといえるだろう。


前言撤回―。


悦子だってちゃんと成長していた。
伊達に長女のわけではなかった…。




考えてみれば、以前は父・謙太郎一人しか住んでいなかった菅原家。
一作目では“出戻り”の悦子(村田)しか住んでいなかった。
一作目のラストから若菜(柴田)が、二作目のラストから玲子(大谷)が帰ってきて、今では、嫁に行った弥生(斉藤)を除く三人が一緒に住んでいる、というのも、「家族再生」というテーマのひとつの象徴といえるかもしれない。*1




そして、ラストシーン―。




『かば』シリーズを締めくくる最後の場面。




あのラストシーンは、
個人的には、「完璧」だった。
 
 

*1:若菜は二作目のラストで、一人暮らしを始めるようなセリフがあるが、『かば3』でその後の説明がなく、どうなったか不明。