南アルプス天然少年団

南アルプス天然少年団

通りすがりの傍観者の足跡。

メロン記念日@各媒体

メロン記念日物語』の詳しい話をやる前に、片付けておきたい(『メロン記念日物語』の話のあとにやりたくない)ので、先にこちらの話を――。



『Rooftop』

まずはおなじみ、椎名編集局長による『メロン記念日生誕3654日感謝祭』のレポ。
(この記事、Web版の方にまだUpされてないけど、何か問題があったのか、現在編集中の『MELON KINEN-BI ROOFTOP YEARS:2007〜2010』の方と関係があるのだろうか…?)


その言葉が発せられた瞬間の場内の凍てついた光景を、僕はいつまでも忘れることができないだろう。人間、茫然の極みに達した時は言葉を失う。瞬きする間の静寂の後、悲鳴と怒号がない交ぜになったやり場のない声がフロアに飛び交う。その声を振り切るように、斉藤は一気にまくし立てる。最後の日まで全力疾走します、といった体の言葉をリーダーらしく涙をこらえて気丈に話していたと思うが、何ぶんこちらは放心状態で目前に起こったことが何のことやらさっぱり判らない。


(中略)


後日、冷静になって考えたこと。今回の選択は確かに残念だし、とても口惜しいことだけれど、事務所サイドの決定ではなくあくまでもメンバー4人による自主的な総意であることには拍手を送りたい。カットアウトの美学をデビュー10周年の記念日当日に貫くだなんて、最後の最後までロックではないか。


(中略)


5月3日の中野サンプラザまで、“楽器を持たない至高のロック・バンド”の最後の疾走は続く。我々には4人の勇姿を最後までしかと見届ける義務がある。そして、彼女たちの大英断を潔く受け止め、残されたメロン・デイズを貪欲に楽しむことを忘れてはならない。最後の花道を盛大に盛り立てられるのはメンバー4人と共犯関係にある我々だけなのだから。

一読して驚いたのが、どうも椎名編集局長ほか『Rooftop』の皆さんでさえ、あの場で“初耳”であったらしいということ。
メロン記念日ロック化計画”の仕掛人の一人というか一部というか、少なくとも全面的にバックアップしてくれていた『Rooftop』。
その『Rooftop』の方々に対して事前に何も伝えていなかったというのは、例えば、BEAT CRUSADERSのヒダカ氏やニューロティカのカタル氏が事前に知らされていたらしいこと、普段メロンのライブなどに来ないマスコミが大挙して取材に訪れていた(おそらく何かしら知らされていたであろう)ことも含めれば、いくらなんでもあまりにも礼を失しているし、少しおかしいのではないかという気がする。


となれば、2月19日当日の放送であったテレビ東京『音流』が“その件”について一切触れていなかったのもわかってくる。
やはりロック化計画の経過を追ってくれていた『音流』スタッフですら、やはり事前には知らされていなかったのだ、と。
(編集し直したくても、時間的に無理だったろう)


「あんなに支援してやったのに…、ふざけんな!」
と思うのが普通ではないかと思うのだが、それでも椎名氏の文章の後半部分の暖かい言葉にはただただ頭の下がるばかり。
(“ロック”という言葉を使って、ご自分を奮い立たせておられる、という気もしないわけではないのだが)


それに比べて、筆者などはここまで心の広い人間ではない。
それに現時点では、5/4以降に彼女たちがいったい何がやりたくて今回の決断をしたのかなど、情報があまりにも少な過ぎる。
だから、椎名氏の言うような“大英断”とはまだまだとても思えない。
 
 


『ぴあ』

続いて、『ぴあ』のインタビュー。


全文



まず、“決断”するまでの経緯について――。

斉藤「2〜3年前頃から、『今の状態なら10周年は迎えられそう』という状況が見えてきました。その頃に目標としていたのが、『10周年まではがんばろう』ということ。その10周年へ向かっていく中で出てきたのが、昨年から行ってきた“メロン記念日ロック化計画”だったんです。そのロック化計画を押し進めながら、同時に“10周年以降のメロン記念日が進むべき道”のことを考え続けてきた中で出てきたのが、『今のメロン記念日はすごくいい状況を作れるようになってきた。だからこそ10年目という節目をきっかけに、とても良い状態のまま解散というケジメを付けるのも、メロン記念日なりのロックな生き様として格好いいんじゃないか』という想いでした。さらに各メンバーの中へ、『これからは、それぞれが自分の道を歩いてく時期だろう』という気持ちも大きくなり始めたことから、そう決意したわけなんです」
――ロックなメロン記念日という新しいスタイルが、確実に認知され始めていただけに、「解散」発言は、すごくもったいない気がしています。
斉藤「まわりからも、『これからだったのに』『もったいない』『残念』など、いろいろ言われますけど。むしろ、その声が上がっている時期に身を引くのも、メロン記念日らしい進み方なんですよ」

このあたりの“ロック”の解釈については、前述の椎名氏の文章の受け売りなのではないかという気がしないでもない。
それにこうも繰り返されると、筆者のようなヘソ曲がりの人間には、
(それって本当に“ロック”なんだろうか…?)
という疑問が頭に浮かんでしまう。



発表する時の心境について――。

斉藤「ファンのみなさんは、10周年をお祝いするためライブに駆けつけてくれたわけじゃないですか。しかも、アルバム『MELON'S NOT DEAD』も発売したばかり。でも私たちは重大発表を抱えていながらのステージだったので、すごく楽しめる瞬間と、『あ〜この後に言うんだなぁ』という心よぎる気持ちとの狭間の中でライブを行っていました」

このあたりは、以前にこの日のライブの「雑感その1」にて述べた推測通りだったように思う。


―― ロック化計画を行ったことで、着実に新しいファン層の広がりや、他ジャンルの人たちからの興味の視線が多くなっていたじゃないですか。その勢いを継続しようとは思わなかったんですか?
斉藤「“ロック化計画”自体は、すごく良い成果を上げたと思ってますけど。でも同時に、あの計画は、いろんな人たちの力があったからこそ成り立てたこと。わたしたちは楽器を演奏したり、自分たちで楽曲を創作してきたわけじゃない。そこで覚えたジレンマも、ケジメを付けるひとつの要因になっていきました」

やはり、メロン記念日はアイドルグループとして終わらせる道を選んだのだ、と認識出来る。
 
 


AERA

そして、
『さらば「一流のB級」よ』
と、題された『AERA』の記事。



確かに、B級かもしれない。だけど世の中にA級の人間なんてそんなにいない。そんな思いに応えるのがロックだとすれば、メロンの存在はまさに「ロック」そのものだったろう。「一流のB級」としての謙虚さがファンの熱狂を生み、名だたるロックミュージシャンの曲提供にもつながった。
だが、最初は到達すら難しいと思っていた10周年が見えた時、4人は自分の足で歩き始めることを選択した。欠けているものを自力でつかむ。今はそんな思いなのかもしれない。

“ロック”の解釈としては、むしろこちらの方がしっくりくるような気がするのは筆者だけであろうか。



最後に、同記事の大谷雅恵発言より。

「ごたごたしてやめるわけじゃないから。年齢を重ねて5年か10年後くらいに、ちっちゃいライブハウス借りてまた集まれたらいいなと思います」

そのイメージとして、太陽とシスコムーンという先達の姿があることは確かだろう。