南アルプス天然少年団

南アルプス天然少年団

通りすがりの傍観者の足跡。

メロン記念日@『Rooftop』

かなり遅ればせながら…、
といっても今月号なんだけど、ずいぶん前のような気がする『Rooftop』4月号のメロン記念日ラスト・インタビュー――。


デビュー10周年の節目に解散を発表した真意とは──
輝けるディケイドを共に疾走し続けた4人が語り尽くした本誌ラスト・インタビュー


2月19日のデビュー10周年記念日に解散を表明し、5月3日の中野サンプラザでのライヴをもって解散するメロン記念日の本誌ラスト・インタビューをお届けする。10年間の軌跡を演技で魅せる舞台“メロン記念日物語〜Decade of MELON KINEN-BI〜”、ハロー!プロジェクトの盟友たちが大挙ゲストとして駆けつける“LAST MELON GREETING”、我が新宿ロフトでの最後のライヴ“LOFT LAST GIGS”、そして東名阪計4公演のファイナル・ツアー“MELON'S NOT DEAD”と、残されたわずかな時間を彼女たちと共有できる機会は思いのほか多い。インタビュー中、リーダーの斉藤 藤 瞳はこれらの機会を“卒業式”という言葉で表現している。随分と長丁場な卒業式ではあるが、できることならその式が延々と続いて欲しいくらいだと個人的には思う。思うけれど、4人の総意であるという潔い大英断の事実は変わらない。長い夏休みもいつかは必ず終わるものだ。悲嘆に暮れる時間があるくらいなら、盛大な卒業式の数々を貪欲に楽しんだほうが賢明である。いたずらに延命させるよりもカットアウトの美学を貫き通した彼女たちの極めてロックなアティテュードには喝采を送りたいし、これまで華やかに本誌の誌面を飾ってくれたことに対してはこの場を借りてありったけの感謝の意を表したい。“LONG GOOD-BYE”(とこしえにさよなら)とは言わない。それよりも『めぞん一刻』よろしく“SO LONG! GOOD-BYE”(またね、バイバイ)だ。大団円はまだこれからなのだから。僕は今、メロン記念日という類い稀なる表現者たちの優美な終幕をあなたと等しく迎えられる歓びに打ち奮えている。(interview:椎名宗之)

 
 


舞台『メロン記念日物語〜Decade of MELON KINEN-BI〜』について

公演日:3月17日〜22日*1
「10年間の総括的な内容で、実話を元に脚本を書いて頂いている。自分たち自身も台本を読んでキュンと来るところがあった」(斉藤瞳
「稽古が始まる前に演出家の太田善也氏とメンバーとで話し合って脚本を作ってもらった。自分たち自身が発した言葉じゃなくても、この10年間で記憶に残る台詞、キーワードみたいなものも含めて挙げていった」(村田めぐみ
「“MP”よりも“NP”(泣きポイント)のほうが多いかもしれない」(柴田あゆみ
「エピソードだけは今まで聞いたことがあっても、実際はどうだったのかを表現したことはなかったので、凄く伝わる部分があるんじゃないかと思う」(大谷雅恵



解散を決めた経緯

■決断を下した時期
「“ロック化計画”真っ只中の、去年の夏を過ぎた頃に話し合って、みんなが同じ意見で、それを受けて私が『じゃあ、事務所に言うよ?』と」(斉藤)
「デビュー7、8年目の頃に“10周年を迎えるまでは頑張ろう”という目標があり、実際に10年目を意識するようになって、今後のことを個々に話し合っていくうちにみんな同じ思いだった」(村田)
「最初は2月19日にピリオドを打とうと4人で決めていたが、10周年をお祝いする日に解散するのは果たして正しいのか?と思うようになって。しかし、2月19日をちゃんとした決断の日にしたかったので」(斉藤)



■事務所サイドの反応
「チーフ・マネージャーのIさんには『凄く残念だよ』と言われた」(斉藤)
「Iさんは自分から発進させた“ロック化計画”の真っ最中に何を言ってるんだ!?って感じだった」(大谷)
「私たちとしては、早めに伝えておいたほうが会社の皆さんにとってもいいんじゃないかと。最終的にはIさんも『誰か1人が“辞めたい”と言うんだったら引き留めたけど、4人全員の意見だったら承諾するしかない』と言ってくれた」(柴田)
「でも、会社の方の大半は冷静に受け止めて下さった。古くから関わりのある方は特にそうだった。『いいと思うよ』と言って下さった方もいた」(斉藤)



■あくまでも4人の総意

「個々がやりたいことを見つけるようになったり、4人がバラバラになるのはイヤだった。そうなる前にちゃんとした決断を下したかった。この4人でこそメロン記念日だという意識が強かったし、最後まで4人のままでいたかった。7、8年目以降はCDも満足に出せなかったし、不安もあったところに“ロック化計画”によって助けられて、このままなら10周年を迎えられそうだと。でも、“ロック化計画”はいろんなバンドの力を借りてのことだったし、10周年後に自分たちの力だけで動いていくにはどうしたものかと。そういう部分の話し合いを含めて行き着いた決断だった」(斉藤)



ヲタモダチに対して
「絶対悲しむだろうし、ショックだとは思うんだけど、いつかそういう日が来るのは判っていて欲しかったし、私たちが決めたことならきっと受け入れてくれるとは思っていた」(大谷)
 
 


2010年2月19日の10周年記念ライヴ“生誕3654日感謝祭”

■開演前
「社内的には、前の日に一斉メールで通達があった」(大谷)
「会社のいろんな方たちが楽屋に駆けつけてくれて、みんなの顔を見ていたら泣けてきた。ステージへ行く前から涙腺がかなり緩みそうだった」(柴田)
「開演前は人と会話をしないように心懸けた。話をすると胸に来てしまいそうで、自分から殻に閉じ籠もってしまったと言うか。リハの時から全然落ち着かなかった」(斉藤)



■1曲目の『かわいい彼』から凄く張り詰めたテンション
「1曲唄い終えるごとに絶えず緊張が続いていた」(柴田)
「やっぱり最後の発表をずっと心に留めてたし、曲も“あと何回唄えるんだろう?”というのが頭をよぎると、どんなに激しい曲でも泣けてくる」(村田)


中盤の『香水』で歌を詰まらせた柴田あゆみ
「感極まったと言うよりも緊張。『香水』はいつまでも緊張する。当時感じていた緊張やメインに立つプレッシャーが良くも悪くもあった」(柴田)


「ファンの人たちは解散する事実を知らずに純粋に10周年をお祝いしてくれて、その気持ちに対して“ごめんね”と“ありがとう”の感情が入り混じっていた。気持ちの上では凄く忙しい1日だった」(斉藤)



■解散発表
「『リーダーから発表して欲しい』という3人の思いを受け継いで私が大役を任された。自分たちで決めたことだから、悲しい発表にはしたくなかった。私の前に3人が挨拶したけど、みんな泣こうと思えばいくらでも泣けたと思うのに、最後の私の言葉が4人のものだという気持ちがあったから、自分の挨拶を明るく締めてくれた」(斉藤)
「あの解散声明は見事で、私もひとみんを尊敬した。ただ、最後にみんなでお辞儀をした時に、ひとみんが(甲高い声で)『じゅっしゅうねんっ…』って凄い涙声を発したのはひとみんらしくもあり、微笑ましたかった(笑)」(村田)



■解散発表直後の場内の静寂
「ある程度反応を予測していたものの、あれは予測しきれなかった。ファンの人はこの後に『ウソだよ!』って言ってくれるんじゃないかと思ったかも。でも、そのまま報告が続くものだから、解散を受け入れなくちゃいけない空気が出来つつあり…」(斉藤)
「1人、すぐに拍手をしてくれた人がいて、いつもならそこから他の人も賛同して拍手が起こるのに、あの日は誰も賛同しなかった」(大谷)



■ステージを降りた直後
「ぼろ泣きでした」(柴田)
「裏で4人でワーッと泣きまくってた」(斉藤)



■ライヴDVD
カップリング・ベスト『URA MELON』にはあのライヴの模様を収めたDVDが収録されている。
「自分たちのライヴDVDは必ずチェックしてたが、自分の表情が全く想像がつかないから、見るのが怖い」(斉藤)


ヲタモダチは皆さん以上に怖いと思っているのでは?
「私たちが決意を抱えていることを本番中は知らなかったわけですからね」(村田)
「メロンと一緒に歳を重ねてきてくれた人たちは笑顔で拍手をくれた。最後に『ALWAYS LOVE YOU』を唄ってる時もそれがちらほら見受けられて、そういう人たちがファンで良かったなと心から思った」(斉藤)
 
 


『ALWAYS LOVE YOU』について

BEAT CRUSADERSへのオファー
「事情を話して、『これがラストの曲になります』とお願いした」(大谷)
「『ENDLESS YOUTH』のロック・ヴァージョン的な曲が欲しいと。ロックっぽくしすぎると気持ちが伝わりづらくなるし、ヒダカトオルさんがそのバランスを上手いこと汲み取ってくれた」(斉藤)



■最後のレコーディング
「あまり張り詰めた感じではなかった。タイトなスケジュールだったから、気が焦るばかりで」(斉藤)
「私が喉を患ってしまい、4人で一緒にサビを唄えないかもしれないと思って凄く落ち込んだ。年が明けてからもう一度4人で唄えることになったので凄く嬉しかった」(村田)


そのレコーディングの遅れがあったから2コーラス目の歌詞が出来たらしい。
「まさにケガの功名(笑)」(村田)



■2月19日に『ALWAYS LOVE YOU』を初披露した時の記憶
「泣いてる顔を見つけると見ないようにして、大丈夫なところを探していた」(大谷)
「私は泣いてる人と目が合ってしまい、感情がコントロールできなかった。発表前の『赤いフリージア』を泣かないで唄い切らなくちゃという意識が強く、無事に歌い終えてホッとしたのもあると思う」(柴田)
「意外にもむーちゃんが割と泣いてた」(斉藤)
「『ALWAYS LOVE YOU』のデモCD-Rを頂いた時から泣いてたから」(村田)




■解散発表から2日後に行なわれた大阪でのライヴ
「お客さんの、せっかくのライヴなんだから盛り上げようぜ!っていう気持ちが凄い伝わってきた」(大谷)
「いつも以上に声を出してるんじゃないかな?って思うくらいで、グッと来た」(村田)
「初期の曲は振り付けを起こしてたので、その緊張もあった(笑)」(大谷)
 
 


解散まで1ヶ月

■現在の心境
「舞台が終わるとライヴが続くので、しっかりやりたい」(大谷)
「仙台と千葉で公開ラジオがあったけど、少ない時間を共有したいファンの人たちが集まってくれてる感じがあって、そういうのはじんわり来る」(斉藤)



■解散日を5月3日にしたのは何故か?
例えば12月いっぱいまで活動を続ける選択肢はなかったのか?
「それだとズルズル行っちゃいそうで。5月3日にこだわったわけではなく、私たちは2月19日にこだわったので。ただ、ファンの人たちとちゃんと別れの時間を作れるという意味では、2月19日をXデーにしなくて良かったなと思っている」(斉藤)



■活動全般に悔いはないか?
例えば、熱望していた野外フェス単独出演も果たせないままだが?
「野外フェスにこの4人で出るにはまだ時間が掛かると思う。バンドがいない状態で野外フェスで表現できることは限られている。去年、ビークルさんのゲストとして何曲か唄わせてもらってよく判った」(大谷)



■最後に記念碑的なシングルを発表したいとは思わなかったか?
「それが『ロマンチックを突き抜けろ!〜Break it now〜』や『ALL AROUND ROCK』、『愛だ!今すぐROCK ON!』だと捉えている」(斉藤)
「“ロック化計画”がなければ、尻切れトンボみたいに終わってたかもしれないので、その達成感の上で10周年を迎えられたことが凄い良かった。やりたいと思いつつもやれなかったことはいろいろあったかもしれないが、この10年を振り返ると後悔は全くない。心に残るライヴもたくさんあるし、いろんな人たちに支えられてきた感謝の気持ちもあるので」(村田)



■濃厚で濃密な10年間
「この10年で得たことが第二の人生でプラスの作用をもたらしてくれると思う」(村田)
「この10年を上回るものがない限りは幸せを感じられないだろうし、さらにその上を目指そうとするから、私たちは相当濃い人生を送れるんじゃないか」(斉藤)



■各人、5月4日以降の予定
「個々にいろいろと。今後のことはゆっくりと考えたい。今は“これをやります”っていう感じではないし、これから」(斉藤)
「解散したグループが個々に何をやっていくのか凄い気になる性格だったのに、いざ自分たちがそうなると、そうそう出てこないんだなと(笑)」(村田)
 
 


改めて10年を振り返っての本音

■過去の解散の危機感
「CDも出ないし、ライヴでも同じ曲しか唄ってないのに、よく会社から何も言われないなぁ…と」(大谷)
「『お前たちはもう要らない』っていつ言われるんだろうってビビッてた」(斉藤)
「そこはやっぱり、ライヴを認めてもらえてるのかなって。それは大きな自信だった」(大谷)
「CDが出ない時は、セットリストを組むのに試行錯誤していた。で、ファンの方からダメ出しされたり…。『こうやって言ってくれてるうちはまだいいんだよ』と」(柴田)



■楽曲
インディーズ版『お願い魅惑のターゲット』。
「『〜ターゲット』は“まだメロン記念日を終わらせるわけにいかない、どうにかしたい”っていうファンの人たちの思いが強かった曲。それでライヴの盛り上がりがさらに強まったくらいだし、不安に感じていたのは『〜ターゲット』を出す前。あと、『アンフォゲッタブル』の前もリリースの予定がなかったし、その後もまた見通しがつかなくて…。結局、CDを出せない時期が不安で不安でしょうがなかった」(斉藤)


楽曲のクオリティはどれも高い。
カップリングの曲もかなり恵まれている」(柴田)
「だけど、セールスは芳しくなかった(笑)」(斉藤)
「おかしいなぁ…(笑)」(大谷)


初期はランキングのことしか考えられなかった。
「できれば1位を獲りたかった」(大谷)
「会社内で同じ日にリリースがあったりして、その人のランキングが私たちよりも遙かに上でガッカリしたし、何でこんなに差が付くんだろう?何が違うの!?と思った」(柴田)



■TV出演
初のオリコン10位入りを果たした『赤いフリージア』。
「その後に不安があった。メジャーな番組に出られるようになって、登り調子だったのに、“あれ!?歌番組の露出が減った?”っていう(笑)」(大谷)


松浦亜弥のバック・ダンサーとしての『NHK紅白歌合戦』出場。
「ハロー!でやってたせいか、誰かの後ろで踊るのはもう馴れちゃってる。逆に、“やった、紅白出れるぜ!”って感じだった。“お母さん、見てね!”みたいな(笑)。ウチらもそんなにプライドが高いわけじゃないから、“全然行きまっせ!”って感じで」(大谷)
「そういうのが良くないんだろうけど(笑)」(斉藤)
ごっちん後藤真希)のバック・ダンサーをやらせてもらった時も、それでテレビ番組に出られるなら“ラッキー!”って感じ」(柴田)
「あまりガツガツしてなかったからこそ10年続けられた気はする。ただ、今この状態でテレビの歌番組に出たらどうなるんだろうな?とはちょっとだけ思う」(村田)
「今だったらあまり緊張もせずに伸び伸びできそうだし」(大谷)
「『〜運命』とか、今の勢いでドーン!と唄いたい」(村田)
 
 


ラストスケジュール

■ファイナルへ向けて
「舞台でお芝居のピリオドも打てるし、“LAST MELON GREETING”でハロー!の仲間に見送られる場も、ロフトさんでもお世話になる。卒業式をやってもらえる場がいくつもあるので、贅沢すぎるとすら思う」(斉藤)
「ファンクラブ限定だけど、沖縄への卒業旅行もあるし」(村田)




■ファイナル・ツアー
「現時点では5月3日のセットリストは決まってない。思いのほか時間が掛かってしまって、まだ決められてない」(斉藤)


東名阪の4公演で内容も若干変わる?
「変化は欲しい。全部が全部っていうわけには行かないだろうけど、唄い切らずに終わるには惜しい曲もあるから」(斉藤)



ラスト・メッセージ

村田めぐみ
「メンバーはこの4人ですけれども、メロン記念日はファンの皆さんやスタッフの皆さんも込みで形作っているものだし、全員がメロン記念日みたいな部分もあると思うんですよ。全員がライヴで締められるのも凄く嬉しいし、私たちらしいものを最後にガツン!と見せたいですね。ファンの皆さんも、ヲタモダチとしてのプライドを懸けたライヴを見せてもらいたいです」



柴田あゆみ
「“ロック化計画”をやったことで出会えたルーフトップ読者の皆さんもいらっしゃると思いますし、ルーフトップさんやロフトさんにはたくさんお世話になり、かわいがって頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。10年間、自分たちだけではここまで来れなかったし、支えてくれた皆さんのお陰で5月3日を迎えられると思うんです。悔いは全くないし、5月3日は湿っぽくならずにやり切りたいですね。今はその気持ちだけです」



大谷雅恵
「何かを10年続けるのって純粋に凄いことですよね。私たちはホントにいい人たちに恵まれてたからこそ10年続いたと思うし、この4人だったからこそここまで来れたのを実感してます。私自身、ひとつのことを長く続けることが苦手として育ってきたんですけど、4人のメンバー愛に支えられましたね。10年間ずっと4人で一緒にいることは、これから先経験しようと思ってもできないことだし、人との関係が10年続いたことは家族以外でないですから。こうしてメンバーと共に10年過ごせたことは私の自慢だし、自信に繋がりますよね。しかも、無理をせずに一緒にいられたことが凄く大きくて、何かあればみんなで話し合って解決してこれたので良かったなと」



斉藤瞳
「最後に言葉にするならば、“私たちメロン記念日を見つけてくれてありがとう”ですね。他にもいっぱいアイドルがいる中からメロンを見つけ出してくれたこと、メロンを応援してくれたことに対して感謝だし、椎名さんが『MELON'S NOT DEAD』のライナーで“メロン記念日という楽器を持たない至高のロック・バンドと同時代に生きている幸運を改めて感じている”って書いて下さったじゃないですか。私はその言葉がもの凄く嬉しくて、5月3日に中野サンプラザにいてくれるファンの人たちにもそう感じてもらえたら嬉しいし、そう感じてもらえるようなライヴをしたいですね。私たちは誰かが欠けることなく4人一緒にメロン記念日というステージを降りるので、これから先もメロン記念日で在り続けられるんですよ、私たち自身が。ファンの皆さんにとっても、メロン記念日はこの4人であることに変わりはないと思うし。姿はちょっと見えなくなるけど、“MELON'S NOT DEAD”だし、メロン記念日という存在自体は在り続けるものだと私たちは思っています」









全文はこちらに。




このインタビューを読む限りでは、
「まず、解散ありき」
だったことがうかがえる。


インタビュアーである椎名編集局長の、
「12月いっぱいまで活動を続ける選択肢はなかったのか?」
という問いも的を得たもので、筆者なども解散発表時に、ラストが5月3日と聴いて、
(こりゃまた、ずいぶん急だな…)
と思ったものである。
「12月いっぱい」とは思わなかったが、夏か秋くらいまではやるものかと思っていたので。


そんなに解散を急ぐのに…、
いや、メンバーにとってはずっと前から決めていたことなのだとは思うが…、
それなら尚更、解散後の個々のヴィジョンが未だに曖昧であるのは、なんだか腑に落ちない。
まぁ、2月19日からなるべく近い日に…、という“記念日を大切にする”メンバーの心意気と受け止めておこう。



また、椎名編集局長が触れているように、やはりラストシングルは出すべきだったと思う。
メロン記念日ラスト、そしてロック化計画というものの成果を広く知ってもらうにはその方が良かった。
いきなりアルバムというのはやはりちょっと敷居が高い。シングルで興味を持ってアルバム、という可能性だってあったはずだし。
それに、シングルがあればメンバーが熱望していた(?)TV出演もあったかもしれない。
TVの歌番組というのは、あくまでもシングルの世界の歌の番組であって、アルバムというのは多くの場合、なかったことにされてしまう。
だからどんなにいいアルバムを出してもTVでは取り上げてもらえない。
(これが例えば有名な曲のカヴァーアルバムだったりすると取り上げてもらえたりするのだが)


シングル一枚あれば、チーマネ氏も交渉のしようがあったろうに…。




↑先日のLOFTのライヴのあと、ここで記念撮影されているヲタの方がおられましたな。
 
 

*1:最後の稽古が終わった時点でのインタビュー。