南アルプス天然少年団

南アルプス天然少年団

通りすがりの傍観者の足跡。

那須3

captain-tanzawa2008-01-24

第二日(99.09.03)

5:00起床。
団長とほぼ同時に目が覚め、まだ寝ていた副長を「風呂行くぞ〜」と叩き起こす。
副長「???」
寝起きの悪い方の二人が先に起きたので不審な顔。
「さては腹減って起きたな」
図星である。
とかく山というところは腹が減るところなのである。カロリーというものは偉大だ。
支度して露天風呂へ行くと、先に入っていた副長が湯舟で小さくなっている。
聞けば副長、一番風呂、一人だと思い会津の山々に向かって、
「うおおぉぉぉ…!」
と吠えたところ、湯舟の陰で旅館の女将が温泉玉子を作っており「おはようございます」と丁寧なご挨拶を受けた由。
凹む副長を尻目に朝食のメニューに思いを馳せつつ入浴。
6:00広間から太鼓の音がドンドンと。朝食の合図である。件の温泉玉子、飯をハフハフと喰らう。おかわり5杯。


7:00前日予約した弁当を受け取って出発。
この日は那須最高峰・三本槍岳(1917m)を目指す。
宿に着いた道とは反対側、西の道を行き、すぐ北へ向かい、大峠から東へ折れ山頂に登る、という大回りのコース。
朝露の中、沢を渡る。赤岩沢、中ノ沢、峠沢といくつもの沢を飛び石伝いに渡る。
やがて登山道は木々草々に覆われた急登になる。
驚くのはこの登山道が江戸期にあっては参勤交代の道でもあったこと。戊辰戦争でも激戦場となった。
やっとの思いで急登を脱すると、視界も開けてくる。
幸いこの日は天候に恵まれ、昨日まったくだった展望が素晴らしい。しばし展望に見とれていると…。
虻に足を刺された。


11:00あちこちの山へと向かう十字路になった大峠にて休憩。地蔵どのがおられるので安全を祈願。
振り返ると三本槍岳の分厚い頂が見える。「三本槍」というと鋭い山の形を想像するが、むしろ台形に近い。
山名の由来は山の形からきたものではないのである。
山頂は江戸期に黒羽藩、会津藩白河藩の境になっており、その確認の為五月五日の節句に各藩の代表が山頂に登り三本の槍を立てた故事からきている。
黒羽藩は大関氏、1万8千石。大関氏とは那須氏の支族である。
急斜面を這い上がるようにして登る。近くに蛙が多い池があり、岩の下から時折『ど根性ガエル』のようなご遺体が現れる。
山慣れした団長はお菓子をたくさん持って来ており、ひとつ目標にたどり着くと他二人にお菓子をくれる。サーカスの熊だね、こりゃ。


13:00三本槍岳着。山頂にて昼食。まだまだ夏の日差し。団長は日焼け止めを塗りたくっていたのに首筋が真っ赤になっていた。
一時間ほど休息し、来た道の反対側、東側より山を下る。また急坂だ。
下りると北温泉分岐に達する。右(南側)に曲がると昨日の熊見曽根に出る。曲がらずここから東へ中ノ大倉尾根を通りゴールの北温泉を目指す。
ぬかるんだ道を徐々に下る。2時間以上の長い道のり。
やがて階段状の道をジグザグに何度か下ると再び硫黄の匂いが立ちこめる。沢を渡ると北温泉旅館の庭に出た。温水プールならぬ温泉プールがある。


北温泉の歴史は古く、伝説では1200年前に天狗が発見したらしい。旅館自体も古いところでは安政年間に建造された箇所もある。
筆者も昭和初期の映像を見たことがあるが、温水プールもその頃からのものである。
中に入ると映画のセットのような帳場があり、頑固そうな老人が座っていた。
但し立ち寄り湯のチケットは自販機で購入する。自販機の上に猫殿が鎮座されている。那須は猫の町でもあって、猫は大切にされるらしい。
風呂は露天風呂のほか、天狗の湯、寝湯、湯滝など各種あり、迷路のように入り組んだ木造の廊下(歩くとギシギシと鳴る)で結ばれている。
旅館内通路には日露戦争の資料が展示されている。那須大山巌乃木希典など日露戦争の関係者にゆかりがある為であろう。


各種の湯を堪能し、缶ビールをいただいた後、バスはもうない時間なのでタクシーを呼び黒磯駅へ。
途中土産物屋に寄ってもらう。ここのレジ横にも猫殿が居た。
そして酒盛は黒磯駅から帰りの車内でまだまだ続くのであった。




写真は中ノ大倉尾根にて。