南アルプス天然少年団

南アルプス天然少年団

通りすがりの傍観者の足跡。

たまには一歩引いてみる

さて、『モー。10トークショー』や『Memorial Party』のDVD感想のつづき…。


保田圭」という人物についてのことである。


いや、先にDVDの感想と書いたが、これは前々から薄々感じていたことでもある。


今回、彼女が披露した過去のエピソードを、中澤裕子安倍なつみといったメンバーが覚えていない、ということが少なからずあった。


モーニング娘。の過去の歴史を振り返る際に、他のメンバーが忘れていることを、彼女はよく覚えているのである。
以前観た、彼女と飯田圭織とのディナーショーの時のMCでも似たようなことがあった。


これは、彼女が記憶力がいいということもあるのだろうが、中澤裕子飯田圭織安倍なつみといったオリジナルのメンバーたちが、
モーニング娘。という一種の騒動」
の中で(例えば「シャ乱Qオーディション」から「中澤裕子卒業」あたりまでの時期)、一連の騒動のまったくの当事者であって、彼女らが騒ぎの中に一喜一憂していた中、追加メンバーである保田圭という人だけが一歩引いた形でこの一連の騒動を客観的に見ていたからではないだろうか。


ひとつには彼女の性格もあったであろう。
例えば、「矢口真里」という人物も近い立場で、実際オリジナルの三人よりも客観的にものごとを見ていた感じはあるのだが、彼女の場合は早くにオリジナルメンバーの三人と親しくなった為、騒動の中心部により深く入り込んでしまった感がある。


その点、「保田圭」は出遅れた。
騒ぎの中に飛び込むのには少し大人だったのかもしれない。オリジナルのメンバーとなかなか打ち解けずにいたらしい。


例えば他のメンバーの回想の中に、
「あの頃、圭ちゃんは少し浮いていた」
というものがある。
考えてみれば、「浮いている」と「一歩引いている」という状態は(よほど他人と折り合いのつけられない人間でなければ)実は紙一重なのではあるまいか。


また「保田圭」という人物が、『ASAYAN』という番組の熱心な視聴者であって、モーニング娘。も「シャ乱Qオーディション」の頃から観ていたことはよく知られている。
このことが彼女をして「モーニング娘。」というものを、一視聴者に近い立場で、客観的に見ることの訓練になっていたかもしれない。




こういう、客観的にものごとを見ている人が居るグループ(「組織」といってもいいであろう)は強い。




ある意味、彼女がトークに於いてオチを担当するのも、こういう客観的な見方が出来る人ゆえのことであろう。


そういう「保田圭」という人物の口から、過去の歴史を振り返った際に、しばしば発せられるのは、
「あの時、〇〇してくれて、嬉しかった…」
などといった、メンバーに対する感謝の言葉である。


彼女もやはり、他のメンバーからは助けられていたのである。




一人の人間が一つの組織から「浮く」のか「一歩引く」のか…。
それは本人の問題もあるだろうが、周囲の人間やその組織の「器量」というものも深く関わってくるかもしれない。