「愚者はおのれの経験に学び、賢者は他人の経験に学ぶ」
(ビスマルク)
先日読んだ本のなかに、たまたまドイツの近代史についての一節があり、ビスマルク(オットー・フォン・ビスマルク)についても触れられていた。
ドイツでは、名宰相といわれたビスマルクのあと、第一次世界大戦を経て、さらにその後ヒトラーが出てくるわけで、筆者浅学にしてどうもこのあたりの流れがよくわからず、これを読んで、ああ、そういうことか…とまあ、得心したわけである。
そんな矢先、『ベリキュー!』にて、冒頭の真野恵里菜殿のセリフでビスマルクの言葉が出て来たから少々驚いた。
但し、どうも、正確には「賢者は歴史に学ぶ」のようであるが、意味は同じだからまあいいと思う。
(この番組を観ておられない方の為に一応説明しておくと、番組冒頭、彼女が古今の偉人の言葉を引用し、ひとこと付け加えたのち、タイトルコールをして本編が始まる)
ビスマルクに感化された日本人としては二人いる。
一人は大久保利通で、もう一人は伊藤博文。
二人はいずれも明治初年の政府欧米視察団、いわゆる岩倉使節団の一員としてビスマルクに面会している。
このとき、ビスマルクは、
「国際公法は小国に味方しない。日本も国力を高めるべし」
と説き、
「ドイツは小国であるからこそ、日本の手本たりえる」
と、具体的な政策案まで語ったという。
大久保と伊藤は大いに感銘を受け、大久保はビスマルクのことを「大先生」と呼び、伊藤に至ってはのち自らを「東洋のビスマルク」と称し、そのことを明治天皇にからかわれもしている。
二人がビスマルクに心酔したのは、この面会の前に米に於いて、幕末に幕府が結んだ不平等条約の改正を拒絶されたことと無縁ではないと思う。
その点、ビスマルクは親切であった。
ちなみに、使節団の残る二人の大物、岩倉具視と木戸孝允は、ビスマルクにはさほど感化されなかったようである。
公家出身の岩倉は、ビスマルクという巨大な存在を日本に置き換えて、むしろ天皇制の存続に危機感を抱いたようであるし、木戸は元来(彼が西郷隆盛を毛嫌いしたように)政治的巨人というものを信じられない性質であるように思われる。
木戸を弁護するならば、彼は大久保や伊藤よりも政治的にロマンチストであり、ビスマルク流の威圧外交を好まなかったから、ということもあるであろう。
ビスマルクの言う「国力」とは、主として武力のことである。
とはいっても、ビスマルクは他国を侵略せよ、と言っているわけではなく、むしろ侵略国の侮りを受けないように武力を整えよ、ということである。
当時、ドイツは植民地も持っていなかった。
岩倉使節団が帰国すると、日本では征韓論が巻きおこっていた。
大久保と伊藤とがこれを潰す勢力の中心となったのは、当然といえば当然のことであった。