南アルプス天然少年団

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通りすがりの傍観者の足跡。

大船・玉縄のこと

『空の港で。』が終わったと思ったら、つづく『アド街ック天国』が「大船」であった…。
筆者のかつての通学路だったりするわけで。
最近行ってないなぁ…。




さて、大船といえば、前田有紀殿のイベントが追加されていた。

2008年9月30日(火)
第37回 交通安全と防犯のための大船・玉縄地区市民大会 に前田有紀がゲスト出演します。
会場:鎌倉芸術館 小ホール(神奈川県鎌倉市大船6-1-2)
開催時間:13:30〜15:30まで
第一部
 交通・防犯功労者表彰式
 交通安全・防犯ポスター展示・表彰
 白バイ展示・体験乗車
第二部
  前田有紀歌謡ショー
  大抽選会
入場無料・先着600名
詳しくはこちら!大船警察署HP⇒
http://www.police.pref.kanagawa.jp/ps/65ps/65mes/65mes12.htm#24

http://www.helloproject.com/schedule/01/04/list_01/list-maeda.html


大船・玉縄…。


簡単に説明すると、JR大船駅の東側が大船地区、西側(大船観音のある方)が玉縄地区である。




玉縄というのは、『信長の野望』なんかやる人にはおなじみの、玉縄城があったところ。
小田原北条氏の拠点のひとつで、三浦半島に睨みを効かす意味でも重要な城であった。
城主は、名将の誉れ高い北条綱成の家系(玉縄北条氏)である。
難攻不落の堅城として知られ、武田信玄上杉謙信も、この城を陥とせなかった。
のちの豊臣秀吉による小田原攻略の際にも、この城は落城してはいない(徳川家康の説得により開城)。


また、北条水軍の本拠地でもあり、往時は城の外堀が近隣を流れる川(柏尾川)から相模湾に通じていたらしい。
こういうタイプの城としては、江戸初期に藤堂高虎が築いた今治城が有名だが、これは外堀が直接、瀬戸内海につながっている。
今治城のモデルは、高虎が若い頃に仕えていた津田信澄織田信長の甥)の居城・近江大溝城(明智光秀の設計)といわれるが、高虎は秀吉の小田原攻めにも参加していた(伊豆・韮山城攻略を担当)から、玉縄城も知っていたはず。もしかすると、この城も参考にしたかもしれない。


豊臣期以降は徳川氏の支配下にあり、家康の腹心であった本多正信の居城であった。
その後、江戸幕府初期の財政を支えた松平正綱(長沢松平氏)が藩主となるが、孫の代に上総へ転封となり廃藩、廃城となった。
なお、のち新井白石玉縄を知行地としていた、という説もあるらしい。


現在、城跡はほとんど破却され、跡地に清泉女学院(中学・高校)が建っている。
堂本暁子千葉県知事、女優の真野響子殿や宝塚歌劇団の稔幸殿、それにフィギュアスケート村主章枝選手などの母校であるが、同校OGの知人によれば、
「やっぱり城跡を壊しちゃったってのはね…」
と、ちょっと引け目に感じるらしい。
建設当時(1963年)は、まだまだ史跡を保存するという感覚が、日本人全体に欠けていたのであろう。


なお、『アド街』では、玉縄城跡周辺は散策出来るように紹介されていたが、城跡そのものは、なにぶん学校、それも女子校が建っている為に訪れるのはなかなか難しい。
それでも、わずかながら、見学出来る機会はあるらしい。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/tamanawa.html
戦国期には堅城とされた玉縄城だが、現在は女子校が建ってしまった為に、別の意味で難攻不落になってしまった…という(笑)




大船・玉縄を愛した人といえば、笠智衆氏がいる。
言うまでもなく、日本を代表する名優だが、氏は松竹在籍時には大船地区に住み、退社後に、玉縄地区に移ったらしい。

山と海に囲まれていて、なんとなくのんびりしている。松竹を辞めてからもここを離れなかったのは、僕の性に合っていたからだと思います。


裏山に神社があり、昔はよくそこで台詞の練習をしたもんです。


今の家は、息子たちの家と三軒並んで建っていて、僕と家内、長男夫婦、次男夫婦と、お隣同士なのです。うちの庭には、田舎の寺を建て替える時(筆者註・笠氏は江戸初期から続く熊本のお寺の次男)にいらなくなった古い材木で組んだ茶室があります。長男の嫁が、そこで近所の皆さんにお茶を教えていて、僕もご相伴にあずかることがある。


次男の嫁は、うちの隣で床屋をやっています。僕も月にいっぺんぐらい、頭を刈ってもらう。頭がすっきりすると気分がようなって、そのまま散歩に行きたくなってしまいます。
笠智衆・著、扶桑社・刊『大船日記』より抜粋)


実は筆者は、犬を連れて散歩しておられる生前の笠氏を何度かお見かけしたことがある。
一度などは、正面からやって来られるので、思わずお辞儀をしてしまったのだが、氏は余裕の体で、ニコニコと会釈を返された。
たいへん幸福な経験をした、と思っている。




なお、「鎌倉芸術館」というところには、筆者の友人が勤めていたりする。
最近会ってないけど元気かな?
隣は旧・松竹大船撮影所跡。
まあ、これももはや立派な史跡である。
現在は、鎌倉女子大が建っている。




あっ、ここも跡地に女子校か…!