南アルプス天然少年団

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通りすがりの傍観者の足跡。

『東京アリス』感想

まず最初におことわりしておきますが、筆者はこの舞台の原作漫画を読んでおりません。
だから、メインの四人が何故仲が良いのか知らないし、円城寺家がどの程度の金持ちなのかもよくわからない。
(芝居観てもわからなかった)
従って以下の文章で、
「原作でそうなってんだから仕方ないだろ!」
というご批判は当然あるものと覚悟しております。




しかし、最近、観る芝居観る芝居、占い師が出て来るな…(笑)




観ている途中から感じていたのは、
「これ、ホントに今連載中の漫画なのか?」
ということ。
物欲優先のヒロインが、本当の宝物=愛する人を探しあてる…というお話。
なんというか話が古いというか、まるでバブルの頃のテレビドラマのような…。
悪い意味で「トレンディドラマ」という言葉を思い出した。
奇しくも演出家氏がパンフレットにて「バブル(後)」という言葉を使って登場人物たちの時代性を語っていたが、芝居を観てもそれは感じとれなかった。


脚本演出がテレビの人だけに随所に映像的な演出が多く、照明などは映像美といっていいほど。
(照明は『おじぎ』シリーズや『携帯小説家』の関口佑二氏)
音に関する演出でも、例えば、ふう(石川梨華)がお金の話をする時にレジの音がしたり、とフジテレビ的。
ただこれ、舞台でやるとあんまり面白くないんだな…ということがよくわかった。
『かば3』の呼び鈴を効果的に使った演出のような、舞台ならでは…というようなものではない。



役者に関しては、全般的にセリフの“間”の取り方が今ひとつで、とくに笑いにもっていくところで笑いが広がっていかない。
こういうのはやはり本職の舞台の役者さんが上手いんだが…。


UFA勢はさすがに『リボンの騎士』や『ハロモニ。劇場』で主力を務めたメンバーだけに、演技の面でも笑いをとる面でも、よくやっていた方だとは思う。
とくにヒロイン・ふう役:石川梨華殿の体を張った熱演ぶりは際立っていた。
この人はこういうドジをふんだり、ジタバタする役や演技の方が面白い。
逆にさゆり役:吉澤ひとみ殿は、やや損な役回り。
ふうと対照的にクールに演れば演るほど、理央役:木下智恵殿とかぶってしまうジレンマ…。
しかし、本人とは180度違う(失礼m(__)m)お嬢様役をちゃんと演じていたと思う。
元々、舞台上での立ち振る舞いは綺麗な人で、『リボンの騎士』でも『平成レボリューション』でも、個人的にこの人の指先が強く印象に残っており、今回もそれは充分生かされていたと思う。
みずほ役:小川麻琴殿に関しては、元来器用な人だし、役柄も仲間四人の中でのムードメーカー的存在だったりと、彼女本来のキャラやポジションに合ったものだったので好演だったとは思う。
しかしこの役はもっと面白くなる役。吉澤殿と合わせてこの二人は、作り手側の無為無策ぶりが浮き彫りになっていたと思う。
小川殿の場合はむしろ、今回観劇している彼女の次回作&次々回作の演出家たちが「俺ならこうする」的なことを感じただろうことを期待したい。


スペースクラフト勢も神出鬼没の公子ママ:栗山絵美殿を筆頭に頑張っていたと思う。
しかしなにぶん美形ばっかり集めちゃったんで、個性を出すという点では逆に弱くなってしまった感がある。
(まあ、美形ばっかりの事務所だからしょうがないんだけど…)
とくに残念なのは、亜矢子役:佐々木もよこ殿。
あれはもっと遊ばせてもいい役なのに。ある意味何やってもいい役だ。彼女は今回初舞台。演出家がちゃんとしてあげないと…。

この『東京アリス』はもっと自然体なものにしたいと思っている。そのほうが、原作のキラキラした楽しさを表現できそうで…。
(パンフレットにて演出家氏の発言)

「自然体なものにしたい」
と言うならば、自然体に見えるように演出すべきであり、それは何もしないことではないはずだ。


さらに今回は、脇を固める(はずの)本職の舞台役者さんたちも今ひとつ。
今回最も損をしているのが理央役:木下智恵殿なわけで…。
彼女の場合、メイン四人の中にありながら、理央のドラマについては中途半端にしか触れられていないし、本職の舞台女優としての存在感をアピールする場すら与えられなかった。


男性陣に至っては、これ、
誰がどの役でも良かったのではないか?
例えば公演途中から役が入れ替わっていても観客がわからなかったんじゃないか?
…とさえ思えるほど個性が希薄。


全般的には役者が皆同じリズム。一人くらいリズムをぶち壊してくれる人がいないとつまらない。
『かば』だの『ミコトマネキン』だのの、あの濃くて、しかもよく作り込まれたキャラクター陣を観たあとだと、どうにも薄味で物足りない。
今回最もキャラの濃かった公子ママにしても、舞台上では見えない部分を観客に想像させてくれるエピソードやらセリフがあればもっと面白かったのに…と思う(アドリブの部分で多少頑張っていたが…。いや、あれで随分救われていたと思う)。


音に関する演出でもそうで、例えば『携帯小説家』で、お嬢様役(鈴木愛理)が部屋に入って来るたびに、彼女を送って来たと思われる馬車やらヘリコプターが去って行く音が…というような、なにか観客の想像力を掻き立ててくれるものがあれば…。
この芝居の円城寺家については、パンフレットの対談で演出家氏が、
「想像もつかないくらいの(金持ち)」
と言っている。
確かに芝居を観ても想像がつかない…。
別に『携帯小説家』と同じにやれとは思わないけど、何か方法があるはずで、せめて観客に想像ぐらいさせてほしい。



映像というのは要するに画を切り取ることだ、というのは幾多の映画監督、映像作家たちが言ってきたこと。
芝居も同じで、舞台というのは一種切り取られた世界である。
だが、その舞台の後ろにもっと大きい世界が広がっているわけで、それを観客に想像させることが演出家の仕事だと思う。


また、演出家氏がやはりパンフレットの対談にて、
「舞台で悲しいシーンに涙を流しても、客席からはほとんど見えないし、突然泣き声でセリフを言っても、何か違和感を感じるだけだもんね」
と発言しているのには、それこそ強烈な“違和感”を持った。
確かに会場がシアターグリーンだったり、赤坂レッドシアターだったとしても、後ろの席からじゃ涙そのものは見えない。
しかし『かば』シリーズで、村田めぐみ殿が、柴田あゆみ殿が、『ミコトマネキン』で能登有沙殿が、芝居中に本当に涙をこぼした時(筆者も後方の席だったから涙そのものは見えなかったが)、その感情は客席全体にちゃんと伝わっていたはずだ。


おそらくこの演出家氏は、客席から、というよりも、演出家席に座っている自分から見える範囲内しか興味がなかったのであろう。


なにより残念だったのは、観終わって印象に残るセリフが皆無であったことだった。


やはり、脚本か演出のせめてどちらかに、本職の舞台の人を呼んでくるべきではなかっただろうか。




今回のこの公演、招待されて観劇した最近のハロプロ関連舞台関係者の数は、過去最大だと思われる。
であるのに、ブログ等で、この芝居について触れている人がほんのわずかであること。
それがすべてを物語っているように思う。



Berryz工房℃-uteはいうに及ばず、今やエッグ勢ですら、本職の演出家や役者さんたちに揉まれて、急激に成長しているハロプロ周辺の舞台状況を考えれば、一般観客層やマスコミにアピール出来、且つ実力もあるこのメンバーに、この程度の舞台をやらせてちゃいけないはずだ。




最後に衣装:鈴木佐和殿。

今回はわりと大変やま。

http://ameblo.jp/beniospi/entry-10255047128.html

と言っておられたが、芝居を観たら大変なのがよくわかりました。
衣装の数も多く、ブランド物のオンパレード。
あと、ふうの「あ〜れ〜」のところの衣装も…(笑)
お疲れさまでした。