南アルプス天然少年団

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通りすがりの傍観者の足跡。

『すこし離れて、そこに居て』感想

(公演終了につき、ネタバレ防御機能解除。未見でDVDを楽しみにしておられる方は読まないか、斜め読みしてください)




舞台セットについては、宮原将護氏が、
物販現場については、鉄炮塚雅よ殿が、
それぞれUPしてくださっております。


セットその1
セットその2
物販



この『すこし離れて、そこに居て』は、同じ太田善也氏の脚本・演出による『かば』シリーズと一対をなす作品である。
いわばもうひとつの『かば』と言ってもいい作品。
いろいろと問題のある家族、出て行ってしまった母、という設定は『かば』の四姉妹と死んでしまった父親との関係を想起させるものだし、
娘が仕事していない男と暮らしていて…というのも『かば』の弥生(斉藤瞳)と英ちゃん(中野順一朗)の関係と同じだ(英ちゃんはここまでひどい男ではないが)。
そして劇中ところどころで囁かれる犯罪の臭い、ラストに分かる意外な真犯人…。
問題山積ながらなんとなく家族がまとまるラスト…。


思うに、『かば』シリーズで描ききれなかったり、取り込めなかったエピソードを基に、太田氏はこの作品を作ったのではないだろうか。



笑いの多い芝居ながらも、劇中全般にはなんとなく不安な感じが漂っている。
この不安感はいったいどこから?…というのが初めて観た時にわからず、しかし二回目観た時に、冒頭の日出雄(大高洋夫)一人の芝居でああ、そうか…と納得した。
この不安さは、日出雄の不安感だったんだな、と。
それは大高氏の名演が支えていたものだった。



さて、メロン記念日からの二人。
『かば』シリーズでは四姉妹(メロン記念日)が軸で、周囲のちょっと変な人たち(主として散歩道楽勢)がやって来て…という構図だったが、今作は散歩道楽本公演ということもあり、軸は笠木豆腐店の家族(大高洋夫・名取幸政・キムユス・ヒルタ街)であり、メロンの二人は今度は“周囲のちょっと変な人たち”の中に参加している。いわばホーム&アウェー


そんななか、メロンの二人は実に対照的な役を演じている。


社会人として評価に値する仕事をこなしてきた乾(柴田あゆみ)。


引きこもりで社会と隔絶していた萌仁香(大谷雅恵)。


共通しているのは、共に他人と上手く接することの出来ない人物であること。


乾は、過去の手痛い経験(具体的に何であるかは劇中語られていないが、おそらく恋愛関係)から、他人を幸せであるか不幸であるか、という物差しでしか見られなくなってしまっており、それもうがった見方をすれば、自分よりも不幸せな人間を探している(そして怪しげな団体に勧誘する)のではないかという疑念が沸く。


一方、萌仁香は社会的にはよちよち歩きを始めたばかり。
他人とのつながりも初歩的なことから始めるよりほかなく、とりあえずは誰かの為に頑張ろうというところから始めている。
それは、自分を守ってくれた母親のため、自分を一個の人間として認めてくれたショー(小助)のため、職探しで骨を折ってくれた日出雄のため、雇ってくれた番場夫妻のため…である。


乾よりも、不器用ながら誠実にやっていくであろう萌仁香の方が、ゆくゆくはうまくいくのではないかと思えてしまう。


乾は陽立(キムユス)に、
「俺たち可哀想じゃないから!全然不幸じゃねえし!」
と言われてしまうと、
「気持ち悪いよ!」
という捨てゼリフを吐いて去っていくしかないのである。
この「気持ち悪いよ」というのは論理のすり替えだし、「覚えてやがれ!」と同じで、自らの敗北を認めたセリフなのだ。
乾はもう二度と笠木豆腐店には現れないだろう。


ただ、乾の行動が、結果的には陽立を動かしたこと。それは確かなような気がするが…。



萌仁香もまた、母親の“事故”の真相を知り、豆腐を叩きつけて去っていくのだが、彼女はいつの日か笠木豆腐店に戻って来るのではないか(日出雄を赦す赦さないは別として)。
いやそうあってほしい。人間不信になってまた元の引きこもりに戻ってしまった…なんていうのは悲し過ぎる…。
彼女の場合はむしろ、この芝居のあと、がドラマのような気がする。



驚いたのはラスト近く、舞台上にこの二人だけが残り、なんとなく対峙している場面。
なんというか、妙な違和感が漂うのである。
まるでそれぞれ別世界から現れた人物のような…。
同じメロン記念日のメンバーなのに…。
この二人が同じ舞台に立っている姿をこれまで何回も観てきているのに…。
実に不思議な感覚だった。
これはやっぱりその場面に至るまでの演出と演技がそれぞれ成功していたということなんだと思う。