南アルプス天然少年団

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通りすがりの傍観者の足跡。

『MELON KINEN-BI ROOFTOP YEARS:2007〜2010』ラストソロインタビュー・村田めぐみ編

刀の柄の部分として土台を支えたメルヘンの名匠


村田めぐみはまるで雲のような人である。姿形を変幻自在に変えたかと思えば雲散霧消、その本質を掴もうとすればするほど核心からは遠ざかっていく。絶妙な間合いで妙味に富んだユーモアを飛ばして相手を煙に巻き、本人の意図しないところで噛み様を降臨させて笑いの神様すらも強引に天上から引きずり降ろす。おとぎばなしの住人の如き優美さはまさにメルヘンそのものだが、そのあどけなさが残る風情がグループ内で緩和剤の役割を果たしていたことを顧みると、彼女が自ら進んで刀の柄の部分になろうとしていたことが判る。アイドルに憧れる者ならば、誰しもが光り輝く刃の部分になりたがるものだが、彼女は柄の部分として土台を支えることでメロン記念日を銘刀にするべく尽力した。注目を浴びるのは刃だが、柄がなければ一本の刀として成立はしない。己の責務を全うすれば誰だって光り輝けることを村田の華奢な背中は雄弁に物語っているのだ。

■リーダーとしてのプレッシャー
最年長ということもあってリーダーの話がきた。それまでそういう役職についたこともなかったし、ちょっと格好いいなと思って引き受けた。
それ以前に、親には「あんたが一番年上でまとめられるの?」と猛反対された。
中澤裕子さんに「リーダー、リーダー」言われておいしく思っていた。*1
リーダーはグループを代表して発言していかなきゃならないし、そういうタイプじゃないなぁと感じていた。
上京組三人で暮らしていた時に、ひとみんが「私がリーダーをやってもいいよ」と言ってくれた。
みんなをまとめて、というよりも所々チャチャを入れる方が自分には合っている。
今の四人でのインタビューでも、突破口を開くのはひとみんかまぁしぃで、気づいたことをちょっと言う方が好き。



■21歳で卒業?
当初、メロン記念日は21歳になったら卒業するシステムの予定だった。
メロンに入ったのが18歳だったので、私は三年しか居られないのかと思った(笑)



■キャラ立ち
メロン結成以前からキャラについてはよく考えていた。
モーニング娘。に居ないキャラを目指すならお笑い的なものじゃないかと思い、お笑い番組を見て研究した。
メガネキャラは誰もかけている人が居なかったので。
しかし、自分よりもメガネの人気の方が勝っているので「こりゃイカンぞ!」と。



■メルヘン担当の苦悩
メルヘンから離れたいと思った時期もあった。
メガネをかけ始めた頃はインテリ担当になりたかった。
メルヘンというのは言葉で伝えるのが凄く難しい。
上手く伝えられないままここまで来てしまった(笑)



■今までで一番焦ったこと
舞台『宇宙にタッチ』で、本番中に舞台から机を蹴り落としてしまった時。*2
今日限りでメロン記念日を辞めなければならないかと思った(笑)



■父・えびすさん
『MELON’S NOT DEAD』ブックレットの親子共演写真は実は本人の承諾なし。でも嬉しがっていると思う。
仙台でラジオの公開収録があった時に親が来てくれて、終わった後がえびすさんの握手会になってしまった(笑)



■少女時代
内向的だったのが、人前に出てワクワクするようになったので、この10年で凄い変化があったと思う。



■最年長なのに年下キャラ
上京組三人で暮らしていた時もひとみんやまぁしぃの方がしっかりしていた。
20代のすべてをメロンに捧げることが出来て嬉しい。村田めぐみとして生まれて良かった。
他の三人よりも早く歳をとるので、柴っちゃんも私の姿を見ているので安心して20代最後の歳を迎えられると思う。


前は「もう29だ!」と思ってたけど、今は「まだ30手前だ!」と思うようになった。



■潤滑油としての存在
メロンはみんなそれぞれ足りないところをお互いに補い合っていた。
ここ2、3年は村田個人として何をやるかよりメロンとしてのことばかり考えていた。
立ち位置については昔はちょっと気にしていたけど、今は満足。
私はダンスを覚えるのが遅くて、家に帰ってからも一人で練習する日々。
舞台の台詞を覚える方がまだ楽。
でも舞台は段取りや、他の役者さんたちとのいろいろなタスキ掛けのことがあるので、ライヴよりも緊張する。



■ライヴ
ちゃんと周りを見ながらステージに立って、なおかつ自分自身を出せるようになったのはここ数年。
ハロプロのライヴで、メロンの時にメロン以外のファンの人が盛り上がっていると快感。
曲はライヴでどんどん成長してゆく。
“ロック化計画”のコラボ曲はそのペースが早い。



■ターニングポイント
ターニングポイントはやはり『This is 運命』と『お願い魅惑のターゲット』。
『〜ターゲット』は私たちが期待していた以上にヲタモダチのウケが良かった。
ヲタモダチの皆さんに曲の素晴らしさを気づかせてもらった。



■数字よりもライヴ
最初の頃はランキングの順位や数字ばかり気にしていた。
チャートの順位よりもライヴの方が大事だと思えるようになって意識が変わっていった。
いい意味でどんどん守るべきものがなくなっていった。



■解散話
3、4年前に一度そんな話になったが、10周年まではメロン記念日で行こうと。
それまでに状況が変わるかもしれないし、また10周年の時に考えればいいと思った。



ヲタモダチとの絆
親や兄弟、親戚のように私たちを見守ってくれる。
舞台の共演者のブログに「メロン記念日をよろしくお願いします」とコメントしてくれたり、対バンしたバンドの感想もファンレターに書いてくれる。
他のグループのファンは自分が推しているメンバー以外はあまり興味ない人が多いみたいだけど、メロンのファンは他の三人のこともしっかり応援してくれる。
どんなにアウェイのステージでも盛大な応援をしてくれるし頼り甲斐がある。
私も応援する側に回りたいくらい。メロンのファンが羨ましい。



■解散発表後の涙
解散発表後の大阪ライブではファンの笑顔を見て、みんなも悲しいはずなのに…と思って、逆に涙が止まらなくなってしまった。



■解散後
今まではメロンとしての自分しか考えてこなかったので、「次はこれ!」というのは決まっていない。
一応進路相談みたいなのがあるけど、毎回言うことが違うので、マネージャーさんたちを困らせている。
仙台には帰らない。
UFAが好きなんで何らかの形で恩返しがしたい。


ここからは逆に椎名編集局長に質問。

村田「逆に私、どんな仕事が向いてると思いますか?(笑)」
椎名「サブカル誌の編集長とかいいんじゃないですか。唄って踊れる編集長、アリだと思います。Rooftopならいつでも編集長の座を譲りますよ(笑)」
村田「編集長まではちょっと…。だって私、リーダーを降りた人間ですから(笑)。あと締切に間に合うかどうかも心配ですね(笑)」


村田「何と言うか、私は正統派じゃないんだろうなと思っているんですよ。ニューロティカのカタルさんのイヴェントにあっちゃんのピエロ・メイクを真似て出た時も、普通のメイクの時よりも違う自分を発揮できましたし。…そうか、あっちゃんの妹分になればいいのか!(笑)」
椎名「それはお勧めできませんね(笑)」


一番ウキウキするのは企画を立てている時。
もしも会社員になったら、忘年会では仕掛けたいと考えているくらい。



■おばあちゃんになっても
毎日いろんなことを体験しながら胸を張って生きていく人生にしたいと思っている。
「おばあちゃんは昔、メロン記念日だったんだよ」と孫に自慢したい。


メロンのメンバーとは一生友達でいたい。
「…なんて10年前はそんな感情的なことを表現するのが苦手だったんですけど、人は良く変われるものなんですね。さらに10年後にまたこうしてインタビューをして頂きたいです(笑)」
 
 

*1:初期は「あだ名はリーダー、村田めぐみです」と自己紹介することが多かった。

*2:いつも舞台下手最前で机に向かって小説を書いている役。立ち上がる時に勢い余って机を蹴り落としてしまった。