南アルプス天然少年団

南アルプス天然少年団

通りすがりの傍観者の足跡。

雨飾山・第一日

第一日(1999.10.19)

新宿駅西口7:00集合。
参加者:団長、副長、丹沢。
京王バス松本行。車中にて朝食。


松本には昼前に着いた。
バスターミナルから歩いて駅に向かう。
「昼飯どうします?」
と副長が聞く。
「松本で食べてくか、電車で駅弁食うか…」
しかしこの時、団長と筆者の目には「ほろ酔いセット」なるメニューが張り出された店の看板が映っていたのである。
団長「う〜む…」
筆者「う〜む…」
副長「…まだ午前中だぞ」
団長「ほろ酔い…」
筆者「ほろ酔いなら…」
副長「行くよ!」
酒をあまり飲まない副長は、酒呑みには厳しいのであった。




松本からJR大糸線に乗り、車中にて駅弁を食べた。
車窓からは山々が見えて来る。この路線は北アルプスを西側に望んで北上していく為、どこで降りても登山口だ。
(但し雨飾山は北東の方角である)
車内にもそういう装備をした乗客が何組も乗っており、降りる駅で、
(ああ、あの人たちは〇〇山に登るのだな)
と、わかるのである。
次第に山深くなってきた。
各駅、駅前にタクシーが一台ずつ停まっている。
やがて白馬大池駅に着き、ここで下車。
我々と入れ違いに、高い靴を履いたギャル一名、軽装にてホームから乗って来た。
彼女はどこから来て、どこへ行くのであろう…?




降りるとここも駅前にタクシーが一台停まっている。
「さて、どうする…?」
ここから栂池高原の手前、松沢口というところまで行かねばならないが、歩いて行くか、それともタクシー使っちゃうか…?
「歩いてどれくらい?」
「40分くらいですね」
「じゃあ、歩けるな」
結局徒歩で行くことになった。
ところがこれがなかなか大変なのであった。
ジグザグの急坂が延々と続く。
我々登山家(というほどのもんでもないが)は、アスファルトの道を歩くのには慣れていないのである。
やっとの思いで松沢口に着いた。栂池のスキー場が見える。
ここから塩の道・小谷コースが始まる。




そもそも、塩の道とは何か。




「敵に塩を送る」という言葉があるが、これは戦国時代の武田信玄上杉謙信の故事からきている。




甲斐(山梨県)の武田氏と駿河遠江(静岡県)の今川氏は同盟を結んでいたが、今川氏の当主・義元が高名な桶狭間の合戦により織田信長に敗死した後、義元の子・氏真が暗愚であるのを幸い、武田信玄は同盟を破棄し、駿河への侵攻を開始した。
しかし今川氏もさるもの、山国の甲斐が塩が採れないのにつけこみ、甲斐への塩の流通をストップさせた。
この為信玄は窮地に立つが、越後(新潟県)の上杉謙信が、同じく武田氏と交戦中だったにも関わらず、
「今川のやり方は卑怯である。されば越後の塩を使われよ」
と、甲斐へ塩を送った…という逸話である。




早い話が、この道が敵に塩を送った道なのである。
塩の道・千国街道糸魚川から松本に至る全長三十里(120km)に及ぶ。なかでも小谷村内は史跡が点在し、往時を偲ぶことが出来る。




街道沿いには馬頭観音が列なるようにあった。
道中、百体観音、牛方宿、弘法清水(牛と牛方の水飲場)、千国の庄史料館などがある。
史料館は近くにあった民家を移築し、番所を復元したもの。
番所は塩などの荷物や人改めの場所であり、戦国期から明治二十年まで機能していたらしい。




夕刻が近づいてきた。
時代劇で見る街道の光景である。
「なんだか仇討ちされそうだな(笑)」
木の蔭に待ち伏せしていた襷がけの娘が短刀をふりかざし、
「父のかたき〜っ!!」
とか叫んで飛び出して来そうな風景なのである。
「まあ、こちとら山賊みたいなもんだからな。討たれても仕方あるまい」
「ふん、返り討ちにしてくれるわ」
「いや、娘ならいっそ捕らえて…(以下自粛)」




やがて約三時間の行程を経て、ゴールの南小谷駅に着いた。
駅前のコンビニで少し買い物した。
レジには店主の娘さんであろう、中学生くらいの女の子がちょこんと座っている。
地元の店らしく胸のところに「小谷」とある学校の体操着なども売っていて、
「明日これ着て登ろうかな」
などと言って副長が笑っていた。




そのあと、タクシーで小谷温泉へ向かう。
この運転手さんが面白い人なのだった。
「山登るの?」
「はい」
「明日雨だろ」
「いや、なんとかならないかな〜と」
「いや、雨は降ると言ったら降るよ」
「そんな…。少しは希望持たせるようなこと言って下さいよ」
「そうはいかねぇよ」




小谷温泉18:30着。
小谷温泉の歴史は古く、弘治元年(1555年)武田信玄の家臣が上杉謙信との合戦の際に発見されたと伝えられている。
温泉博覧会というものがドイツで開催された折りには、別府・登別・草津と共に日本代表として「出泉」されたこともあるらしい。
我々の泊まる山田旅館は近年増築もされているが、最古の木造の建物は江戸時代末期に建てられたもので、西郷従道も湯治にやって来たとかでその書がある。
温泉は男女別の露天風呂と大浴場とがある。
早速露天風呂に入った。




夕食は日本海からの魚介類が豊富であった。
夕食後、我々の席へ仲居どのがやって来た。
「明日の朝食をどうなされますか」という相談なのだった。
仲居どのが言うには、明日はおそらく雨。但し朝方は降らないようなので山に登るなら早く登った方がよい。早朝若旦那が車で登山口まで行くので一緒に乗って行ってはどうか。旅館の朝食の時間より早いのでその代わりに弁当を持たせてくれるという。
夕食が良かったので朝食も楽しみだったのだが仕方ない。仲居どのの言われる通りにすることにした。


夕食後、内風呂に入り、23:00に就寝。


(つづけ)