南アルプス天然少年団

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通りすがりの傍観者の足跡。

ラグビー日本選手権

三洋電機が初優勝=サントリーに快勝−ラグビー日本選手権


ラグビー日本一を決める第45回日本選手権は16日、東京・秩父宮ラグビー場トップリーグ勢による決勝が行われ、三洋電機サントリーに40−18で快勝し、初優勝を果たした。サントリートップリーグとの2冠を逃した。


三洋は序盤からボールをつないでサントリーを圧倒。前半8分にFB田辺、同15分にWTB三宅が連続トライを決め、前半を17−11でリード。後半もナンバー8のホラニが2トライを奪い、危なげなく逃げ切った。

http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_date1&k=2008031600075





三洋、日本選手権初優勝か…。
旧制度時代(日本選手権は大学と社会人の優勝チーム同士の一騎討ち)は、三洋はいつも社会人選手権準優勝で、日本選手権には出場出来ず…。
社会人初優勝の時も、サントリーとの同点、両者優勝でトライ数で日本選手権にはサントリーが出場…。
しかし、この記念すべき日本選手権初優勝の監督が宮本勝文氏、というのがまた感慨深い。


今日の朝日新聞の朝刊『ひと』。

花粉症で赤くなった目が、さらに潤んだ。「相手が表彰されるのばかり見てきたからね」。日本代表のフランカーも務めた現役時代は、黄金期だった神戸製鋼の引き立て役に甘んじてきた。


ラグビー一筋、ではない。引退後は香港にも駐在。中国やインドの営業を任された。02年に帰国後は、本社で約30人の部下を束ねる海外営業部門のリーダーに。「仕事が面白くて仕方がなかった」が04年、開幕4連敗したチームの再建を当時の井植敏会長から命じられる。「誰が僕の代わりに仕事をするんですか」と聞くと、「誰でもおる。でも、ラグビーはお前だけや」と説得された。


監督とは「すし屋の出前」だそうだ。「ネタ(選手)がすべて」。原点をたどると母校、大工大高の故・荒川博司監督と同志社大の故・岡仁詩監督に行き着く。「荒川さんは『だいたいでええ』と。岡さんは選択肢は示すけど選ぶのは選手、と」。相手のサントリーはカリスマ性のある清宮克幸監督が率いた。「尊敬するが、彼は監督主導。目指す方向が違う」。選手主導の環境を作り、同じ大阪出身の2学年下の指揮官を上回った。


会社の業績は厳しい。だから、勝利が少しでも社員のやる気につながってほしい。「同じミッションを託されている仲間です」。携帯電話にはバドミントン部に所属する「オグシオ」の1人、小椋久美子選手と撮った写真が保存してある。


決勝を戦った宮本、清宮の両監督は、91年3〜4月の日本代表Bチームのジンバブエ遠征時のチームメイト(宮本氏は主将を務めた)であり、同年10月のワールドカップ英仏大会代表の座を争った仲でもあった。
(結果は宮本当選、清宮落選)
日本代表としてはやや不遇の人で、当時は梶原宏之、中島修二、エケロマ・ルアイウヒ、といったレギュラー陣の壁が厚く、試合出場のチャンスはなかなかなかった。
とは言え、87年のワールドカップ・オーストラリア戦では1トライ(その試合日本唯一のトライ)をあげている人でもある。
引退後の香港駐在中には、「香港代表のセレクションを受けないか」と誘われたこともあった。
(当時は一度代表を引退した選手が、別の国の代表になることが可能であった。ラグビーは代表になるに国籍はあまり関係がない)


それにしても、オグシオって三洋電機だったんだな。


と思ったら…。

初優勝の次は、オグシオにトライ! 


榎本主将が、同じ三洋電機で、北京五輪出場が決まったバドミントン女子ダブルスの小椋久美子潮田玲子(ともに24)の美人ペアとの合コン実現に向けて“選抜チーム”を組織する決意を披露した。


TLのプレーオフでは優勝を逃し一時封印していたが「今夜の祝勝会で三洋電機バドミントン部の部長に直訴します」。部員44人中、独身は22人と“レギュラー”入りはラグビー以上に難しそう。

なお榎本主将は、実家が経営する「ファミリーマート練馬春日町2丁目店」で日本一優勝セールを行うこともPRした。

http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/ballsports/news/20080317-OHT1T00129.htm




…なんか、2005年の『東北楽天イーグルス、優勝したらモー娘。と合コン!』てな記事を思い出した。


あの時は、報道直後に『オールナイトニッポン』で矢口真里殿が思いっきり否定していたのが面白かった。
「そんな約束するわけないじゃないですか!…高校生じゃないんですから!」




ともあれ、宮本監督、三洋電機ワイルドナイツのみなさん、優勝おめでとうございます。

↓宮本監督、現役時代(同志社大)の雄姿。