南アルプス天然少年団

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通りすがりの傍観者の足跡。

『SAMURAI挽歌〜房州幕末編〜』感想

(公演終了につき、ネタバレあり。未見でDVDを楽しみにされている方は読まないか、斜め読みしてください)



ひとまずは困難な状況の中、この舞台をやり遂げた出演者・スタッフには心より感謝と慰労の意を申し上げたい。
暗転の際に非常灯を消さずに公演を行なったが、さほどは気にならなかった。




幕末の安房国(千葉県南部)館山藩*1内のとある村。
幕末の喧騒をよそに、剣と太鼓に情熱を傾ける若者たち。
共に孤児で、左馬次(水木英昭)に育てられた彼らは固い絆で結ばれていた。
そんななか、仲間の一人・大八(宮本大誠)が江戸での剣術修業を終えて帰って来るというので、大八の許嫁・松(入絵加奈子)はもとより、虎之介(相澤一成)とその妻・菊(飯田圭織)、兼太(川本成)、鉄蔵(佐伯太輔)らは盛り上がっていた。
とくに大八の実弟の小助(戸谷公人)は、八幡様のお祭りで兄と一緒に太鼓を叩くのを楽しみにしていた。
少々頭が足りないが、純粋で心優しい小助は、密かにいつも差別されている河原者たちもお祭りの仲間に加えてやろうと考えていた。
やがて帰って来た大八のみやげ話に花が咲く彼ら。
さらに大八が江戸で親友となった武士・鶴岡清太郎(津田英佑)が村を訪ねて来たので、大歓迎する彼ら。
しかし、清太郎は謎の二人組(山本崇史・原育美)に追われていた。
大八が問いただすと、清太郎は坂本龍馬大政奉還に共鳴していた為に幕吏に追われているのだという。
二人組は河原者たちを味方に引き入れ、清太郎を捕らえようとする。
大八たちに迷惑がかかることを怖れて、清太郎はこの村を去ろうとするが、大八たちは清太郎を守ろうとし、むしろ村のみんなに迷惑がかからないように江戸へ出ようとする。
それは愛妻・菊を残していく虎之介も同じだった。
しかし、清太郎の不審な行動に左馬次が気づき…。




初め、『SAMURAI挽歌』というタイトルを見た時、
(なんか、つまんなそうだな…)
と思った。
「侍」を「SAMURAI」と表記した作品で、ろくなのを見たことがないからである。


幕末、平和な村が時代の激動に巻き込まれて混乱に陥っていく。
このまま片田舎で朽ち果てていいのかという男たちの焦り。
そういう男たちを愛してしまった女たちの悲劇。
おそらく幕末に、いや他の時代でも、日本のどこかであったのではないか?
即ち、現代にも通じるストーリー。


ただ、時代考証的にはツッコミどころが少なからず。
もちろん、
「当時、江戸で“王様遊戯”なんて流行っていない!」
なんて野暮なことをいうつもりはない(笑)
“厠の神様”のくだりは爆笑したし…。
大八が虎之介に、
「(菊と)籍を入れたそうだな」
と言う場面があるが、江戸時代にそんな表現はなかったろう(「祝言をあげた」とかであろう)。
また、江戸のことを「都」と言うセリフがあるが、当時都は江戸じゃないだろとか(むろん、都は京である)。
正規の武士ではない彼らが、身分の高い武士にしか許されないはずの馬乗り袴(馬に乗りやすいようにズボン状になっている袴)を履いているのも気になった(TVドラマなどでも下士階級出身の坂本龍馬はスカート状の袴を履いている)。
このあたりの基本的な時代考証はしっかりしないと、ギャグは活きてこない。


そのギャグの部分はかなり昭和寄りで、しかも少々ウザいところがあって、
(これ、いらないなぁ…)
と思う部分も数々。
また、劇中登場人物たちが唄う替え歌も、笑いをとるものはいいとして、真面目に心情を吐露するのが替え歌だと、ちょっとリアクションに困ってしまう。


そして、ラストのエア太鼓。
エア太鼓の方が技術的には難しいというのはなんとなくわかるし、上半身裸の宮本氏の背中の汗は客席後方からもわかるほどだった。
しかし、兄弟の絆を表現する場面。あそこが同じひとつの太鼓を叩いていたら(例え技量が劣っていたとしても)、感動はもっと大きかったはずである。



菊役:飯田圭織殿。
『ジッパー!』では本人とまるで違う役だったが、今回はやや本人に近い役。
若奥さん役はハマっているし、この人のおっとりした口調が時代モノに合っているという今まで気づかなかった意外な発見もあった。



ところで、ここのところ、筆者たまたま殺陣のある舞台を観る機会が増えているが、殺陣というのもいろいろとあるものだと思う。
筆者は素人なのでよくわからないし、その微妙な違いを言葉で述べる能力も持ち合わせてはいないが、やっぱりASSH『刻め、我ガ肌ニ君ノ息吹ヲ』 『降臨Fight』)ともX-QUEST(『金と銀の鬼2011』)とも、殺陣はちょっと違って見える。
もちろん、殺陣の指導者がそれぞれ違う人や団体なので、その流派の違いがあるのだろう。
そういえば、剣術修業を終えて江戸から帰って来た大八が、
「予定より早く目録をいただいた」
なんてセリフがあるが、剣術が大流行した幕末に於いて、彼がいったい何流(北辰一刀流とか神道無念流とか)を学んだのかということがいっさい明らかにされないのは、今回の殺陣が幕末当時に流行った流派とは違うもので、玄人が見たらわかってしまうからかもしれないな…などとも思った。




――『SAMURAI挽歌〜房州幕末編〜』、了――。
 
 

*1:安房といえば、八犬伝でおなじみ里見氏が高名であるが、江戸初期に改易。江戸後期の大名は春日局の子孫にあたる稲葉氏で、1万石。幕末の藩主・稲葉正巳は幕府の要職を歴任。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%A8%E5%B1%B1%E8%97%A9