南アルプス天然少年団

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通りすがりの傍観者の足跡。

BSプレミアム『プレミアムカフェ「大江戸炎上」』(3/11)


プレミアムカフェ『大江戸炎上』
司会■渡邊あゆみNHKアナウンサー)
解説■山本博文東京大学史料編纂所教授)


『大江戸炎上』は2016年に製作された番組のアンコール放送である。
もともとは東日本大震災9年目当日、災害に臨むリーダー像を改めて考える意味で放送が予定されたものではなかったか?と思われるが、
新型コロナの感染拡大が懸念される現在の状況に合致していることに驚かされ、いくつか参考になる部分も多い。


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未曾有の危機に、リーダーは何を決断し、人々はどう生きたのか?これは、焦土となった巨大都市の再生に挑んだ「不屈の人々」の物語。
日本史上、最大最悪の火災と言われる「明暦の大火」(4代将軍家綱の治世)は、10万人の命を奪い、首都の4分の3を焦土と化した。この空前の災害は、歴史の大きな“転換点”となる。大火の発生直後から、将軍の後見人・保科正之を中心に進められた江戸再生のプロジェクトは、江戸を100万都市へと変貌させ、メガシティ東京の原型を誕生させた。番組では、明暦の大火―その出火から江戸再生の日々をドラマや歴史対談を組み合わせて描く。保科を中心とした幕閣の熾烈な議論はもちろん、ドラマの登場人物がタイムスリップして、現代の気鋭の論客たちと対論するというファンタジーワールドが随所に登場。過去と現代が交錯する全く新しい歴史エンターテインメントである。

【出演(ドラマ部分)】
保科正之(将軍補佐役)■高橋一生
松平信綱(老中)■柄本明
酒井忠勝徳川四天王の直系)■谷川昭一朗
井伊直孝(井伊の赤牛)■石井愃一
阿部忠秋(老中)■菅原大吉
徳川家綱(四代将軍)■小松直樹
浅井了意(仮名草子作家。ナビゲーター役)■相武紗季
語り■伊東敏恵NHKアナウンサー)
【出演(ドキュメント部分)】
磯田道史歴史学者
中野信子脳科学者)
いとうせいこう(タレント・作家)
大江戸炎上 | 中野信子オフィシャルブログ「l'esprit d'escalier レスプリ・デスカリエ」Powered by Ameba



江戸幕府四代将軍・徳川家綱の治世の明暦三年(1657)、とある失火(諸説あり)は大火事となって江戸中を焼きつくし、二日間で約10万人(当時の江戸の人口の四分の一)の命が犠牲となった。火の手は江戸城にも迫り、天守閣も焼け落ちた。いわゆる「明暦の大火」である。


その時、幕府の首脳はどう判断し、どう動いたのか?…というのがテーマ。

将軍家綱はまだ少年。幕府の実権は将軍の叔父であり、異母兄である前将軍・家光より後事を託された保科正之や、老中で“知恵伊豆”と称された松平伊豆守信綱ら幕閣首脳たちにある。
常に庶民のことを念頭におく保科正之と、幕府の威厳を重視する松平信綱の対立が軸となっていく。

二代将軍秀忠の子でありながら側室の子であったために(また秀忠が正室お江のヒステリーを恐れたために)小藩の養子となり、民の暮らしを間近に見聞して民政(「政道とは〝民の暮らし〟を守ることにある」)を学んだ保科正之

下級武士の家に生まれたものの、幼少時に頼み込んで親戚の養子となって将軍家の縁戚である松平姓を得て出世の緒をつかみ、実力でのし上がっていった松平信綱
二人の生い立ちや経歴も対照的である。


また幕閣首脳も、大阪夏の陣を経験している戦国生き残りの酒井忠勝井伊直孝島原の乱で実戦経験のある松平信綱、平和(元和偃武*1 )になってからの世代の保科正之阿部忠秋といった世代間の考え方の相違もあるなど興味深い。

阿部忠秋は本作ではやや頼りないキャラクターとして描かれているが、老中としての後世の評価は高い)


磯田道史先生の解説。
松平信綱は幕府権力を強くすることによって政治を安定させようとした、保科正之は民衆の生活を安定させることによって政権を維持しようとした」
このあたり、現代の与党と野党との対立構造にもシンクロ出来るのではないだろうか。



大火を機に江戸を京・大坂に負けない巨大都市にしようと、都市計画を練る松平信綱だが、米相場の高騰に悩まされていた。
一方保科正之は、火の手が迫った幕府の米蔵から(「どうせ焼けるくらいなら」と)近隣の民に米を持ち出し自由とし、鎮火してからは連日大量のお粥の炊き出し(老人用には米をやわらかく炊くなどした)を庶民に施し、犠牲者を弔う回向院の建設を実行、さらには16万両(磯田先生によれば、30~40万石の大名の年間収入)の金を庶民に配ると言い出す。
他の幕閣首脳は、
武家屋敷も被害を受けているのに、なぜ民を優先するのか」
「それでは幕府の金蔵は空っぽになってしまう」
と、異論を唱える。
これに対して、保科正之はいう。
「なんの為に幕府は蓄えをしているのか。このようなときにこそ民を安堵させる為ではないのか」
「直接金を渡せば民はその金を使って必要なものを買い、職人や商人が儲かり、やがて町中が潤い賑わう。民を生かしてこそ町は潤う」
このあたりは給付金を出し渋る現在の政府首脳に聞かせてやりたい言葉である。



磯田道史「産業活動が回るところに先にお金を回さないと復興は進まない。“経済の波及効果”とか“国民経済”ということを、まだ『経済』という言葉がなかった時代に保科正之は勘でわかっていた」
 〃「庶民に自分たちを救ってくれる政権だと思わせるのが重要なんです」
いとうせいこう「復興、復興と言いながら、被災者にちゃんとお金が行ってない今と重なる」
中野信子「(保科正之は)本当の敵は民の心の不安ということをわかっていた」


そして保科正之は、江戸の防衛上、橋のなかった隅田川に橋(現在の両国橋。大火の際、橋がなかったために逃げられず、犠牲者が多く出た)をかけることを提案。
保科正之「もはや戦のない世。橋の向こうも江戸にしてしまうのです」
この計画に江戸の大都市化を考えていた松平信綱が興味を持ち、それまでの対立を翻して同調。以後二人は協力しあって江戸の復興に力を注いでいく。

二人が主導して参勤交代を一時停止し、江戸から大勢の武士を減らすことによって庶民に物資が行き届くようになって米相場が安定。以後復興が進むようになる。
道路の拡張(現在の上野広小路などがその時の名残)を行うなど、江戸は軍事都市から防災都市への変貌を遂げる。
(両国橋はその後の江戸の大火事の際に数多くの命を助けることになる)
武家屋敷が周辺に移転したことによって屋敷出入りの商人も移転し、町じたいが拡大。江戸は百万都市へと進化していく。


二年後――。
天守台は完成していたものの、保科正之松平信綱は、
「もはや戦国の世ではなく、天守に頼る時代ではない」
「徳川の権威は天守ではなく、泰平の世」
と、天守閣再建の中止を提案、これを成長した将軍家綱が承認。
天守閣再建の予算はすべて江戸の復興に使われた。
以後、江戸城天守閣は再建されていない。
いとうせいこう天守閣がないことが平和の象徴になったんですね」


保科正之の災害・復興対策まとめ
・将軍は避難せず(君たる者が先に逃げない)
・民への施しを優先(庶民が買い物をすれば経済は復興する)
・両国橋建設(首都防衛より街の復興を優先。将来の避難路を確保)
天守閣の再建中止(その予算を復興と民の救済に回す。余計な箱物は不要。江戸城を平和都市の象徴とする)