南アルプス天然少年団

南アルプス天然少年団

通りすがりの傍観者の足跡。

『UNO:R』感想

(公演終了につき、ネタバレ防止機能停止中。
未見でDVDを楽しみにしておられる方は読まないか、読むとしても斜め読みしてください。)




高校の同窓会の日の夜、嵐の中、地元で暮らす優香(村田めぐみ)、沙織(斉藤瞳)、瑠璃(大谷雅恵)、それに東京から戻って来た茜(柴田あゆみ)の四人が、元担任の村井(成川知也)が営む喫茶店に集まる。
高校最後の夏、四人と、遥(武田朋花)を加えた五人は卒業旅行代わりに登山をしたが、天候が急変し、遭難。遥は命を落とした。
遥の死が生き残った他の四人、そして登山を許可しながらも引率しなかった村井にも重くのしかかっている。
そこへ現れる、遥の妹・千尋(西田愛李)。
姉の死の真相を知りたい千尋は、四人と村井を問い詰める。
四人と村井はその時のことを語り始めるが、茜にはある時間帯の記憶がないことがわかる。
空白の時間、いったい山で何が起こったのか…?



優秀な仲間の死、友情への葛藤、教師と生徒との交流、登山、目指すのは美しい沢、しかし天候が急変して…ということでは、映画『ステイ・ゴールド』*1の少女たち(水原里絵=現・深津絵里ほか)の「その後」を彷彿とさせる設定だが、あの映画の場合は、親友の死(自殺)をきっかけに、伝説の泉(その泉の水を飲むと友情が永遠になる)を目指して山へ…というものだった。
内容も、和製、しかも女の子版の『スタンド・バイ・ミー』ともいえる冒険モノであったのに対し、この作品は一種の心理劇。


ありがちなストーリーではあるものの、概ね、良く出来た台本と緻密な演出という印象を受けた。
主として登場人物たちの感情の起伏によってストーリーは進行していくのだが、これも概ね無理はないように感じられた。


観客の代わりともいえる第三者である演歌歌手(一戸恵梨子)とそのマネージャー上野(半田周平)を登場させ、なかでも上野にウザイほど口を挟ませることによって、観客にストーリーの解釈を整理させていく形。
また、サスペンス的要素(沙織が遥に悪意を持っていたのではないか?という疑惑)もあり、推理小説好きの上野が探偵役をかって出るが、実は彼は探偵小説によく出て来る、名探偵の引き立て役となる「よし、わかった!」的な役割に過ぎず、後半、真の探偵役である、遥の妹・千尋(西田愛李)が登場して、事態は急展開を見せる。
しかし、千尋にもみんなに隠している本来の姿があって…という、派手などんでん返しこそないものの、なかなか興味深いストーリー展開。


しかも、冒頭の茜と遥の場面を除けば、暗転、つまり途中の時間経過すらない一幕モノ。
一度舞台上に登場したら、出ずっぱりの役者陣。
約90分間という時間は、出演者と観客とが同じく共有しているという、リアルタイム感。
緊迫感があり(7/3の公演に限っていえば音楽も生演奏)、見応えのある舞台であった。



惜しむらくは、個々のエピソードにもう少しリアリティがあれば…と思う。


冒頭から、喫茶店なのにこの店はタバコ置いてないのか?
(地方の喫茶店ならなおさらだし、しかも主人がタバコを吸う人間なのに、である)
というツッコミで始まるこの舞台。


憧れの人・遥の死を受け入れられず、その時から時間が止まってしまい、今を生きられない、という茜(柴田あゆみ)。
そういう人物が、遥の幻影を追う為とはいいながら、モデルや女優という、ある意味感情をコントロールせねばならない職業につくことが出来るだろうか?…という疑念は最後まで消えなかった。



最もリアリティの欠如が感じられるのが、遥の死に直結する、山の遭難に関する事柄である。
これは、不肖筆者が一応登山をやる者であるからわかるのだが、
「そんな馬鹿な!?」
ということだらけなのだ。


山の中、夜間、しかも雨が降っている中、主人公たちは山中をさまよったり、助けを呼びに行ったり、という話なのだが、そんなことが出来るはずがないのである。
(沙織が警察に「指の先が真っ暗だった」という証言をした、というエピソードがある)
山小屋にせよ、テントにせよ、ましてやビバークなら尚更だが、山中で一夜を過ごしたことのある方ならおわかりになるかと思うが、山中の夜というのは“下界”で暮らしている人間にとって想像以上の暗闇なのだ。
せめて月の光があれば…とは思うが、雨が降っていたわけで、ということは月も星も出ていない状態。となると完全な暗闇である。
(ヘッドランプでも持参していたのだろうか?)
雨が降っていたなら視界はさらに狭まるはずで、手をつないだとしても相手の顔は見えないだろう。周囲数十センチの範囲しか見えない状態では、足を一歩踏み出すことすら躊躇する。
動きまわることが、じっとしているよりもはるかに危険だ、ということは本能的に察知出来るはず。
だから夜になった段階で、五人は身動きがとれなくなったはずで、固まってじっとしているよりほかなく、従って逆に、遥のような事故は起きにくい。
(だからその後のエピソードにはあえてツッコミをいれない)


また、それ以前の段階として、五人で地図一枚というのはお粗末過ぎるし、コンパスもなかったようで、雨具はレインコートと傘だけ。
(普通は合羽であって、レインコートも傘も持っていかない。こういう装備であれば、ヘッドランプを持って行ったとは考えにくい。)
この程度の装備で山に行くのは無茶というもので、教師(学校側)が登山許可を出すとはちょっと考えられない。
仮に教師が引率したとしても結果は…。
これ、一教師の辞職じゃ済まないよ。校長の進退問題ですぜ。


というよりこれ、はっきり言って遭難しに行っているようなものなので(遭難する為に作ったエピソードといえる)、親とか誰か止めなかったのか?
だから、逆にこのことで親が教師を恨むというのは、無理が有りすぎるというものなのだった。



それと、あのあっさりしたラストはやはり気になった。
長年抱えていたものから解放されたにせよ、ちょっとあっけらかんとし過ぎなような気がしてならない。
いきなり茜が帰郷を決める、というのも妙な流れだと思う。



しかし、ハロプロ関連の舞台で、こういう心理劇風のものはこれまでなかったはずで、メロンがこういう舞台に挑戦したこと、作り手側が“させた”ことは素直に評価したい。
とくに、こういう出ずっぱりの舞台に於いては、セリフをしゃべっている時よりも、しゃべっていない時の方の演技の方が重要になってくるが、メロンはよくやれていたと思う。
メロン四人のキャラ分けは、基本的には『かば』シリーズあたりを踏襲したもので(作品的に冒険しているので、このあたりについては、あえて冒険しなかったのではないかと思われる)、
坪田殿の言う、
メロン記念日の関係性」
「今までにない芝居」
「今までの舞台も活かせる芝居」
というのは一通り達せられているように思う。
役に関して贅沢をいえば、清美(一戸恵梨子)にもうちょっと活躍してほしかった感はあるけれど。
いいキャラクターなのに、ちょっともったいなかった。



こういう舞台、演出法(アフタートークショーで話していた、いわゆるメソッド演技)を経験して、次にどういった方向へ向かっていくか?…というのは楽しみである。
あわよくば、将来的に、メロン版『スルース』(何がホントで何がウソかわからない、どんでん返しにつぐどんでん返し。映画版は邦題『探偵〈スルース〉』)*2とかやれるようになったらスゴいよ…。
などと、軽く妄想してみる。


次回作は、柴田あゆみ大谷雅恵のみ出演となるが、再び『かば』シリーズの太田善也氏作・演出の『すこし離れて、そこに居て』。
ある意味、いちばんメロン記念日を知っている演出家なわけで、別の舞台を経験してきたメロンの二人(柴田殿は『ミコトマネキン』と合わせて2本)をどう見てくれるのか?…またはどう“料理”してくれるのか?
楽しみにしたいと思う。
(そういえば、これも散歩道楽版『スタンド・バイ・ミー』だったよな…)