南アルプス天然少年団

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通りすがりの傍観者の足跡。

『MELON KINEN-BI ROOFTOP YEARS:2007〜2010』ラストソロインタビュー・柴田あゆみ編

生真面目で負けん気の強いエース格の孤軍奮闘


メンバー最年少にしてグループを牽引すべく矢面に立つエースの苦悩とは、想像を絶するものだっただろう。ましてやそれが、華やかな芸能界にデビューしてわずか1年という何の経験値もない右往左往する時期ならば尚更だ。事務所の当時の方針により歌のパート割りが増え、ステージのセンターに立たされた柴田あゆみはそれでも果敢に重圧を担い、生来の負けん気の強さで砂を掴んで立ち向かった。ハロー!プロジェクトメロン記念日以外のユニットでも重宝され、課外活動も盛んになったが、すべてはメロン記念日のためにと歯を食い縛った。煌びやかなスポットライトの影で孤軍奮闘していたその愚直なまでに真摯な姿は我々の胸を深く打ち、だからこそヲタモダチから絶大な支持を得たのだと思う。彼女はこの先も七転八倒しながら一歩一歩着実に歩を進めて行くのだろう。磨り減らしてきた踵と歩幅の距離だけは嘘はつかないと言わんばかりに。

■センターの重圧
『電話待っています』から急にパートが増えて、歌割りを見て、嬉しさよりもため息。
当時のマネージャーさんに「前に出ろ!」と言われて、リーダーがいるのに発言を求められる戸惑い。
当時から“四人でメロン記念日”という意識が強かった。
メンバーに抜擢されたタンポポも、私が外で頑張ればメロンの為になると思ってやっていた。
今思えば、他の三人のバックアップがあったからこそやれたし、他の人たちだったら10年やれなかったと思う。



ヲタもだち
全部が全部イエスじゃなくてノーはノーと言ってくれる。人として感謝です。
ヲタモダチとは人としての付き合いが四人それぞれにあったと思う。



■チームメロン
昔はマネージャーさんに厳しいことを言われたけど、今はお礼が言いたい。



■他の三人との関係
他のユニットや単独での仕事もしたけど、やっぱりメロンに居る時が一番居心地がいい。


最初、事務所に一緒に通えるようにと、会社が私の実家近くに三人の家を借りてくれた。
お姉ちゃんが出来たようで嬉しかったけど、中高生の頃の2、3歳上は大きかった。
むらっちが三歳上。私は二つ上の兄が居て、ひとみんとまぁしぃと同い歳。
先輩でもない友達でもない不思議な感覚。
でも、三人が私を受け入れてくれたので孤立感はなかった。


今ではメロンのライヴの前に、親同士集合してカフェでまったりしていたり、むらっちの両親が私の実家に泊まりに来たり、私の両親が仙台に遊びに行ってむらっちの実家に泊まったり。



安倍なつみのアドバイス
ただ、自分がメインになった新曲の時の悩みは三人には相談出来なかった。三人にはもっと悔しい悩みがあったろうし。
そこで、モーニング娘。でメインをはることの多かった安倍なつみさんに相談した。
安倍さんに「普段、車の乗り降りとかさりげなく譲ってたよ」とか、自分からガツガツ行かないのが大事だと言われて救われた。



■15歳から25歳への成長
デビューした頃は、まだ夢を見つけていない友達には羨ましがられた。
今は友達も結婚したり子供を産んだり幸せになっていて、逆に羨ましい。
でも芸能界という厳しい世界でいろんなことを勉強出来たのは大きい。
同級生、特に男の子は子供っぽくて(笑)
去年の“凱旋”ツアーの時に、地元の友達にステージに上がってもらったけど、あまりに騒がしいので恥ずかしかった。“もう呼ばない!”って思った(笑)


デビュー曲『甘いあなたの味』の時は歌がヘタで、練習して2曲目の『告白記念日』の時につんく♂さんに「柴田、上手くなったな」と言われて嬉しかった。
努力すれば良くなる。努力すれば褒めれると思った。


周りに競い合えるハロプロの仲間がいたことは大きい。
石川梨華ちゃんとは置かれていた環境や当時抱えていた問題が似ていて、悩んでいた時に梨華ちゃんと話すと精神的にラクになれた。
梨華ちゃんが居てくれて良かった。梨華ちゃんにも感謝です。
タンポポで一緒のメンバーになれた時は嬉しかった。


タンポポ『BE HAPPY 恋のやじろべえ』



■解散を決めた時期
“凱旋”ツアーやコレクターズとのレコーディングの時に四人で話した。
私はそれ以前にメロンを辞めようかと思ったことが何度もあって、でも2010年までは頑張ろうと思っていた。
今回は他の三人も第二の人生を歩みたいということで、四人の思いが同じだった。
解散ライヴをすることなしに解散することもあったかもしれないし、デビュー10周年というのはいいタイミングだったと思う。



■解散発表前の苦悩
解散を決めてからは会社の中でも限られた人数で物事を進めていたので、ファンの方はもとより、ほとんどの会社の人やハロプロの仲間たちにも言えないもどかしさがあった。
ファンと触れ合える場で「これからも…」と言われると、申し訳ない気持ちに。



■解散を決めて
解散発表後、取材を受けたりやラジオに出演すると、隠れファンだったという人が結構居てくれて、ハチミツ二郎さんやサンドウィッチマン伊達みきおさん*1にもお会い出来て嬉しかった。
そういう方たちに「あと5年、10年は行けたよ」と言われたけど、自分ではあと5年は行けないという思い。
仮にこの先10年続けようと思えば行けたとは思うけど、これまでの10年とは違う、長くて険しい道のりになったと思う。
やっぱり10年というのがメロン記念日らしいと思う。
つんく♂さんにも「自分たちで決断したのは格好いい」と言われた。



メロン記念日の楽曲
メロンの曲をハロプロ音楽ガッタスのライヴで唄ってもらえるのは嬉しい。
私たちがカヴァーしたブルーハーツさんの『キスして欲しい』のように、いろんな人に受け継がれていってほしい。



■この10年
もともと芸能人、女優さんになりたかった。
それが自分も歌に影響されて、唄うことが好きになっていった。
練習は嘘をつかないことをガッタスの練習で知った。
メンバーとは10年一緒にいて、ケンカとか面白くなりそうなネタはない。言いたいことを言い合えなかったわけでもないのに。
至って普通に過ごしてきた10年で、それは逆に凄いことだと思う。
この10年、メロン記念日の一員であったことを誇りに思う。
世間の誰しもが知っているグループではなかったし、大ヒット曲もなかったけど、素敵な出会いがいっぱいあって、たくさんの人たちに愛されたグループだったので、それは私たちにとって宝物。



■解散後
5月4日から先のことはまだ考えられない。
歌は続けたい。
人に力を与えたり、いろんなことを思い出したり、歌の力は凄い。
せっかくその立場に居るのだったら唄っていきたい。


10年間ほとんど一緒に居たメロンのメンバーと会わなくなることが想像出来ない。
「いつになったら実感が湧くのか判らない。また3日後にライヴがあるような、一週間たったらラジオがあるような感覚がしはらくは消えないんじゃないですかね、お互いに」
 
 

*1:東京ダイナマイトハチミツ二郎の家に遊びに行くといつもメロン記念日のDVDが流れていて、その影響で伊達はメロン記念日の大ファンになった。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%81%94%E3%81%BF%E3%81%8D%E3%81%8A