南アルプス天然少年団

南アルプス天然少年団

通りすがりの傍観者の足跡。

『メロン記念日 Last DVD Magazine』その3

一番好きな曲

村田めぐみ
思い入れがあるのは『さぁ!恋人になろう』です。
メロン記念日としてTVに出始めた時期。
This is 運命』で荒波に乗ってるような状態で、ひょっとするとみんな船から落ちるかもしれないって時期にやっと岐路を見い出せて、人が多い街に着いちゃった…みたいな感じで。
看板に一人一人の顔を出してもらって、その時の感動は凄かったですね。



大谷雅恵
『ENDLESS YOUTH』。
昔の曲だけど、今唄ってもしみるし。
自分はロックが好きなんですけどね、ジャンルとかはほったらかしにして、メロン記念日だから、この四人だから唄っている曲ってことで、思い入れがすごい強くて…。
ライブでファンの方に感謝しながら唄ってる曲だったりするから。
いつになってもたぶん変わらないですね。



斉藤瞳
(ため息)
選ぶんだよね?(笑)


うん、『ターゲット』かな。


(以下、涙を拭いつつ…)
メロンを救った楽曲のひとつでもあると思うのよね。
インディーズでしか出せないっていう、下降してしまったという現実を受け止めなくちゃいけない楽曲だった。
でも、どうにか私たちの力でこの曲をメジャーまで。
ファンの気持ちもひとつだった。「どうにかメロンをメジャーに戻したい」「だから『ターゲット』を盛り上げていこう」って力が凄い、ワーッ!ってなってて…。
ましてや、個人的にはその時ママが倒れて、それでも発売を楽しみにしていたっていう、いろんなことが重なった一曲。


メロンを救った、私を救った一曲になるかな。



柴田あゆみ
赤いフリージア』。
赤色のフリージアって私の誕生日、2月22日の誕生花なんですよ。花言葉が「純潔」…。
そんな曲をつんく♂さんにいただきまして、メロン記念日の代表曲、いちばん売れた曲になって…。
いろんなプレッシャーがあったり、いろんな思いがあった上で、少しですけど結果が出せて。
発売した時はいつも移動中、MDウォークマンでずっと聴いてて、我ながら浸ってました(笑)。「やっぱ、この曲最高だな♪」って…(笑)
そういう曲が皆さんに認められたのは良かったな、幸せだなっていう…。私にとっては、ホント思い出ですし、とくに、とくに大切かな。つんく♂さんにも感謝の気持ちでいっぱいですね。
お友達やスタッフさんの、あと、兄の結婚式でも唄って…。
そういう幸せな時にいっぱい花が咲く曲かなと。
ホント、大切な曲です。



今後の、そして十年後の自分

■村田
今よりもナイスバディで、お肌もキレイになって、凄いいい女になっていると、思いたいです(笑)
そっちの方向に向かおうと思っております。
性格的に怠けちゃうところがあったりするので、そこは変えていこうと。
きちんと朝起きて、食事を作り、規則正しい生活をして、すごい洗練された女性に。
みんなと街で会っても「村田さん?気づかなかった〜」っていわれる女性になりたいです。



■斉藤
私?
いい家庭築いてますよ〜♪
笑ったな、このやろ(笑)


(以下、涙を拭いつつ…)
私ね、10年、表に立たせて頂いて、このお仕事もすごく大好き…。
いい経験をさせてもらったなと思ってるけど、最終的にはね、やっぱり一人の女性としての幸せを掴みたいっていう夢があるから、いい家庭築きますよ、私。いいママになってると思います(笑)



■大谷
私、やりたいことがいっぱいあってねぇ…、でも一番は歌ですけどね。
夢として「歌手になる」っていう大まかな目標があったわけで、メロン記念日としてデビューするとは思ってなかったわけじゃないですか。
メロン記念日として10年やってきたことは自分に必要だったことなので、それをクリア出来たことが、「よっしゃ!」っていう…。
自分の夢としては、自分で曲を作る、自分の表現したい言葉で歌を伝える。自分から出るもので人に何かを伝えるってことがある。
それを出来るまではね、なかなか家庭をもつ気にもなりませんしねぇ…(笑)
いや、そろそろ30歳だしとか、私も一時期は結婚して、子供を産んで、幸せな家庭を持つのも夢のひとつかな?っていう時期もあったんです。
でも、ちょっと待てよと。メロン記念日の解散も決まり、自由にもっと生きれるチャンスかなと。
メロン記念日でみんながいるからっていう自分のポジションを学べたので、それを一人になった時にもっと爆発させられるチャンスかなと思いまして。
歌だけは今まで生きてて飽きたことがないのでね(笑)
他のものは好きになってすぐ飽きてっていう生き方をしてきたけど。
歌だけは一生唄っていきたいと思います。



■柴田
例えばこの先、歌を唄うという環境に居なくなったとしたら…。


(しばらく考え込む)


自分の気持ちに素直に、悔いなく、誇りを持っていろんなことにチャレンジしたいと。
もしかしたら、自分に合っているのは歌だけじゃないかもしれないし、また違う出会いもあるかもしれないし、違う道もあるかもしれないし…。
この10年間でたくさんのことを経験させてもらったので、この経験は次に活かされると思うし、大切に胸にしまっていきますが…。
チャレンジしたいですね。音楽という道に進みたいと思います。


そうですよね…、36歳…。
若けりゃいいってもんじゃないですけど、自分の両親みたいな夫婦を、家庭を理想にしているので、結婚して、子供は授かり、家庭は持ってたいです、36歳。



■再び、斉藤
(以下、涙を拭いつつ…)
メロン記念日っていうものが…、この四人だからやってこれたし…、この四人だからメロン記念日だし…っていうのは、これからの人生も一生変わんない事実なんですよ…。
私たち四人が作り上げたメロン記念日だから…。
一緒に活動したり、一緒にステージに立ったり、今までのように会ったりすることは少なくなる…。だけど、それぞれがそれぞれの人生に進んだとしても、私たちは、メロン記念日であり続けると思います…。
 
 


メッセージ

村田めぐみ
こんにちは、メロン記念日の村田と申します。
メロン記念日の」っていう枕詞を付けるのも、ひょっとしたらこれで最後かもしれませんけども、本当に今までどうもありがとうございました。
みんなのおかげで10年間すごく楽しく活動出来たし、人生の中で大切な瞬間がものすごく出来たし、みんな一人一人すごい好きだし、「人間てすごくいいな」って思えるような10年を作れました。
「みんなこれからどうなっていくんだろう?」って、それぞれのことを思うと思いますが、みんなそれぞれね、この10年間で得てきたものを自分の中で消化しながら次の人生に強く大きく踏み出していきたいと思います。なので心配はしないでください(笑)
『ALWAYS LOVE YOU』でも言っておりますけども、メロン記念日の曲、メロディは一生残っておりますので、寂しくなったらDVD見たり曲を聴いたりしながら、思い出は一生持っていけるものなので…,
本当にこの10年間本当にありがとうございました!
これからもね、私も頑張っていきますので、皆さんも頑張っていきましょう!



大谷雅恵
皆さんのすごいところはメロン記念日を好きになってくれたこと。本当にすごいことだと思います。昔を知ってる方はとくになんですけども、よくぞ私たちを好きになってくれたっていうグループだったかもしれません。
なのに、ずっと変わらず応援してくださった方。「仕事の都合で海外行っちゃうんです」で、離れて行った方もいます。「彼氏が出来ました」「赤ちゃん出来ました」で「家庭にいなきゃいけない」って言って、メロンのライブ来れなくなっちゃったコもいるし、そういう状況をみんな伝えてくれるんですね。「でも、気持ちはメロンを応援してるからね」って。
黙って居なくならないっていうんですか、「何年かぶりにメロンのライブ帰って来ました」とか、そういう声を他のメンバーに来た手紙からでも聞くし、みんなファミリーだと思ってやってこれたので。皆さんの情の深さといいますか、愛情には感謝しておりまして。
皆さんが私たちを育ててくれた部分が本当に大きいので。ライブも自由にやらせてくれて、私たちが面白くないこと言っても笑ってくれてとかね、でも厳しい時は厳しいこと言ってくれるってね。
村っちも前言ってたんですけど「ファンの鑑である」ってね。
メロン記念日のファンの方がいちばんいい人たちなんじゃないかなと、思っとります。
解散のことは本当にショックだった方が多くて、「なかなか立ち直れません」って方が多かったんですけども、「でも四人で決めたことなら笑顔で応援します」って気持ちを切り替えて、私たちをまだ応援してくれるって言うんでね、本当にみんなには感謝しております。
“MELON'S NOT DEAD”ってことでね、死なないんですよね、私たちはね。
解散しても、それぞれの道を行っても、メロン記念日であったことには変わらないし、いつまでも皆さんがメロン記念日ヲタもだちであることには変わらないと思うので、それぞれも応援していただきつつ…。
もしね、また「メロン記念日が集結してライブします!」っていう夢が叶った時には、皆さん大集合でお願いします。その時まで、CDとか棄てないでください。ポスターとかも出来れば取っといてください。
ま、さよならじゃないよってことですかね。私たちが生きてる以上は、皆さんと魂がつながってると思うので。
何かの機会に、また会えたらいいね。
たくさんの愛情をありがとうございました。



柴田あゆみ
こういう形で、こういう言葉を、皆さんに送らなければいけない日が来てしまったのは、私たち四人で決めたこととはいえ、やっぱり寂しいものです、正直。
辛い時期ももちろんあったし、それ以上に楽しい時もたくさんありましたけれども、10年間「メロン記念日柴田あゆみ」として唄うことが出来た、10年を迎えられたのも、いつも笑顔で支えてくださった皆さんのおかげです。どうもありがとうございました。
どういう言葉がいちばんふさわしいのかわからないし、何ていう言葉を皆さんに伝えることが出来たら皆さんの心の中に思いが届くのか、正直私も 伝えるのがヘタくそなので、皆さんに届けることが上手く出来ないんですけど…。


(言葉を詰まらせ、長い沈黙。涙を拭う)


言えないよぅ…。


(再び沈黙)


とにかくですね…、10年間、辛い時も悲しい時も、楽しい時も嬉しい時も、一緒に歩いて来てくれてどうもありがとうございます。
誰でもこの曲知ってるよとか、メロン記念日っていう名前ももちろんですけど、それぞれの名前が判ってどういう人だっていうのも判って、CDを出せば上位に入るとか、当初夢であった日本武道館で単独ライブは、まぁ出来ませんでしたけどもね、でも、それ以上に皆さんとの出会いが私にとって大切だったし、みんなが聴いて「上手いね」って歌ではないですけど、それでもたくさんの人に聴いてもらい、たくさんの人に愛してもらい、本当に…


(再び言葉を詰まらせる)


そういう大きなメロン記念日にはなれなかったけど、なにより皆さんとの出会いが本当に最高の宝物です。


いろいろ言いたいことがありまして、話がだんだん逸れてきましたが。いつものように…(笑)
こういうところは10年たっても変わらないし、これからは何が言いたいのかはっきりさせなきゃダメですね、もう26ですから(笑)
でも、そんな私をこうしてたくさんの愛で10年間包んでくれてどうもありがとうございます(笑)



斉藤瞳
ホントに、10年間メロン記念日を応援してくれてどうもありがとうございました。
私たちが10年っていう月日を過ごす為には、やっぱり皆さんの応援なしではやってこれなかったっていうのはあって。
みんなの喜んだ顔が見れるからとか、メロンとして歌を唄っていたりとか、ステージに立つっていうのは、見せるみんながいるから出来たことで、私たちメロン記念日は応援してくれる人が居なかったら活動することが出来なかったから、本当に応援してくれてありがとう。
私たち自身が自分の人生を賭けて、メロン記念日ということをやってきたと同じように、みんなも自分の人生を賭けて、すごい一生懸命メロンを思ってくれたし…(泣き出す)、応援してくれたし…。みんなの一生懸命な姿が、本当になによりも感謝です。
10年あれば、いろんな環境が変わったりとか…、私たちだけじゃなく、きっとみんなもいろんなことがあったと思うけど、その中でも、メロンを応援してくれたってことが…。


(言葉を詰まらせ、しばし沈黙)


後半は、ファンのみんなも、「どうにかメロンを支えてやれないものか」みたいな…、そういう気持ちで応援してくれていたのがすごく伝わっていて…。
これから先は一緒に笑い合ったりとか、一緒に激しい時間を過ごすことはなくなっちゃうけど、私たちにはこの10年で作った思い出があるし、私にとっても皆さんにとっても、メロン記念日に関わった人生っていうものは、生涯共にする人生だから…(笑)。忘れないでほしいなと。メロンと一緒に過ごした日々を。
忘れずに、ふとした時に、メロンと一緒に過ごしたことがとか、メロン記念日は、自分の人生の大きな出来事だったっていう風に思ってもらい続けることを願ってます。
みんなもこれから先の人生を是非楽しんでほしいなと。
そして私たちがメロン記念日であり続けると言ったのと同じように…。ちょっとした望みなんですけど(笑)、2月19日という日をね、これから先も祝っていく日にしてほしいなと。
姿とか見えなくて申し訳ないけど(笑)、なんかそういう風に思ってもらえたら幸せだなと思います。
ホントに、10年間ありがとうございました。