南アルプス天然少年団

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通りすがりの傍観者の足跡。

『メロン記念日 Last DVD Magazine』その2

賛否両論、物議をかもしだした『肉体は正直なEROS

村田めぐみ
その時期、ハロー系でもセクシー系が急増してて、メロンにいちばん直球が来たなと。
ひとみんはいいけど、私は自分がセクシーだと思ったこともなかったので…。
曲名も直球過ぎて、親になかなか言えなかったんです(笑)
私の親はいつも新曲を出す時にCDショップで予約してくれるんですけど、「タイトルわからないんですけど、いついつ発売のメロン記念日の曲を…」って注文したら、店員さんに「『肉体は正直なEROS』ですね、わかりました」って言われて、親が「えーっ!?」って…(笑)
最初は自分の中にないものなんで、恥ずかしさや照れがあったんですけど、ダンスは見せるということではカッコいい振りだなと思って。
今まで使わなかった筋肉を使ったんで、おかげでいろんなところが柔らかくなったり動くようになった気がしますね。



斉藤瞳
めちゃくちゃ嬉しかったんです、ゴメンなさい(笑)
「セクシー担当」をするようになってから、「セクシーとは?」ってことを意識し過ぎるようになって、どんどん加速しちゃって…(笑)
チャンス of LOVE』から衣装が四人とも露出が増えて…。
それまでは「担当」別にそれぞれわかりやすく、私なら露出多め、まぁしぃならパンツとか、服装で分けられていたから、四人一緒だと「私はどうすればいいんだ!?」ってなって悩んじゃったのよ…(笑)
セクシー担当は同じ衣装でもセクシーに見えなくちゃいけないって考え過ぎちゃって、出し惜しみしないっていう方向に行っちゃったもんだから(笑)
他の三人は、衣装は過剰なまでに露出が激しくなっていたし、PV撮影も激しいの撮りましたし、振りにしても「なんで…?」ってのがあったみたいだけど、私は「これは私が輝ける曲だ!」って思いました(笑)



メロン記念日ロック化計画】という話を聞いて

大谷雅恵
「ヤッター♪」
5枚もトントーンとCD出せるのは、メジャーだインディーズだっていうのは関係なしに嬉しかったですね。
バンドさんとのコラボは今までなかったので、自分たちも自信になるし、ハロプロ卒業したみんなにも自慢したいし、世の中の皆さんにも「こんなことやってまっせ♪」っていう武器にもなったし、楽しみでしょうがなかった。



柴田あゆみ
「おー!楽しいことが始まるぞー!」ってワクワク♪
「よっしゃ!」って思いました。



■村田
「やった!」って思いました。
ずっとロックな曲を唄いたい、もっとロックなライブをやりたいって思ってたのに、そういう曲が増えなくて悩んだ時期もあったので、嬉しい企画だったし、次の方向に進めるんじゃないかと思いました。



■斉藤
嬉しかった、もうホントに…!
しかも、一作目がビークルさんだったっていうのは、強く願い続けたこの思いが叶う、意味があったというか…。10周年に向けてのいい加速になったというか。
ハロプロを卒業して、自分たちの力だけじゃお客さんを呼べなくなっているし、曲も出せてないから、変わり映えのないライブしか出来ないっていうのもあって、このままじゃ10年迎えられないんじゃないかな?と思っていたから、ありがたい企画だったというか、まず10周年まではもつだろうという確信と、メロンのライブに新しい風が入るって思えた。
ここからだな、10周年に向けていいものが立ち上がったなっていう期待する感じかな。



十年間で一番嬉しかった事

■村田
やっぱライブになるのかな?
初めて赤坂BLITZでライブが出来た時も喜びもあったんですけど、緊張が凄くて…。
ひょっとしたら私、ここ一年以内のライブかもしれないですね。ステージに立って、ちゃんとお客さんとか全体が見渡せて、自分のパフォーマンスが出来るようになったのは。
『凱旋』のライブとか、やりきった達成感がありましたね。



■大谷
嬉しかったのは、メロン記念日としてデビュー出来たことですね。
いろいろありましたけどもね。



■柴田
う〜ん…。


(しばし悩み続ける)


たくさんの人との出会い、ですね。



■斉藤
やっぱり、この四人で10周年を迎えられたこと。 
 


解散〜自分の中で【解散】を考えた事

■村田
「区切りをつけるなら10年かねぇ?」なんて話をしてたのが2、3年前で。
10年でやめますって言ったら、メロン記念日というものが守られる気がして…。
具体的に考えたのは半年くらい前ですかね。



■柴田
解散は…、いつ頃かなぁ…?


柴田が辞めたいって思ったのは、『涙の太陽』のあたりにチラチラしてましたね。
留学しようかとスタッフさんに相談したこともあります。「もうちょっと我慢した方がいい」って言われて。
やっぱり歌が好きだし、メロン記念日が好きだし、お客さんに支えられてるし、「ここで夢を終わらせちゃっていいのか?」って思って、その時はその気持ちはなくなったんですけど、その後も何度かありました。
親にも相談するようになって、デビューの時に反対したけど、でも今はいちばん応援してくれている両親に止められて、「とにかく頑張ろう」っていう繰り返しをある時期からしてましたね。



■大谷
「いつまでメロン記念日でいるんだろう?」って思いはそれぞれあったと思うんですけど、話し合う機会がなかったんで。
とりあえず、10年は頑張ろうって気持ちはいつの頃からかあったんですね。
その先を考えた時に…。
一番輝いてるなと思ったのが2009年だったんですね。
「まさにメロン記念日、私いちばん好きな形だわ♪」って思えて、そこで終わるのはもったいないって思う時期もあったんです、正直ね。
このままやれば夏フェスにも出れるかもしれない…。
でも考えたんですけど、歌をやりきれてなくて、もっと音楽について勉強したい。コラボのバンドさん見てても、私は音楽人じゃないなと。このままでいくと、勉強する時間がないなと。もっと外を見なきゃいけないなって思って。
みんなで話し合う機会があって、みんなも「10年までは…」っていう気持ちが一緒で、みんなそれぞれやりたいことがあって…。
だから、いつかまた四人で収穫したものを持ち寄ってライブがしたいっていう夢が出来たんです。
その為の解散じゃないけど、終わりじゃないんです、私の中では。これで終わったら後悔する気がする。
5月3日までは、今のメロン記念日を全力でやりきります。
そしてまたいつか四人で集まって、例えお客さんが一人でもライブをやりたい。それが夢です。



■斉藤
メロンを解散させるっていうより、「そろそろ辞めなくちゃいけないかしら?」と思わされたのは…、自分の母親が倒れたことがきっかけかな…。
親にも支えられてメロン記念日をやれているから、その支えが崩れかけた時は焦ったというか、ここでピリオドをうつべきなんじゃないか、私を必要としてくれている人の元へ行くべきじゃないかと思ったのがその時期です。


(以下、涙、涙…)


ママが倒れた時、お医者さんに「ご自分のお名前わかりますか?」って訊かれた時に、「斉藤瞳です」って言って…。私はその場に居れなかったんだけど…。
女性の場合、意識が朦朧とすると旧姓を言ったりするらしいんですけど、ウチのママは私の名前を言ったそうなんですよ…。
何年も離れてるのに、ママの中では私のことばっかりにさせてしまったなと…。
それがちょうど『お願い魅惑のターゲット』のメジャーの発売の何日か前で、発売日にママ、まだ病院にいるのに、自分の名前もちゃんと言えないのに、「今日は大事な日なんだ…」って、カバンから『ターゲット』の予約票を出して「これを受け取りに行かなきゃいけない…」って言い出して…。


幸い元気になってくれたんで、私が唄ったり、CD出したり、TVに出たり、新潟にライブで帰ったりすることが、もしかしたら、ママが元気でいれることになるのかな?と思って続けられました。
それを乗り越えたあとは、どうしてもこの四人で10年という壁は乗り越えたいっていう思いが強くなって、頑張って来た気がする。



決断〜【解散】という道を選択した理由

■大谷
リハーサルスタジオの待合室的なとこで四人で話したんですね。
みんな、「決断するなら早く会社に相談しなきゃいけない」「今だ」っていうタイミングが合ったんですね。
切り出したのはひとみんなんだけど、誰かは言い出したと思う。
ひとみんがみんなの空気を察してくれて。それぞれで話したことはあったけど四人で話したことはなかったんで。
ひとみんが切り出してくれて、意見が一致したのかな。



■村田
ひとみんが口に出しただけで、他のメンバーも個々に二人ずつ話してる時とかにあったんで、みんな同じ意見なんだなってのは思ってて…。最終的にはリーダーがまとめてくれたんですけど。
ロック化計画中の時期だったんで、すごい上り調子かもしれないって思ったんですけど、10年ていう区切りになっちゃうのかな。
8年だったら、まだやってたかもしれないですけど。



■柴田
『凱旋』のライブ移動中に私と誰かっていう形でよく話してはいました。
「辞めてやる」って思っても、それ以上に幸せだったことがあるから、頑張ってこれて、その繰り返しだったんで…。
私から2010年を節目にって言い出すことはなかったけど、話を聞いて「そうなんだ、なるほどね」っていう…。



■斉藤
結局のところ、みんな四人それぞれの中で10年が目標になっていたのは話さなくてもわかってたというか…。結局、すごい売れたわけでもない、何か形として残したいっていう気持ちから、10年やりきりたい。
みんなそれぞれが気づいてたと思う。
10年やれるかどうかわからなかったけど、ロック化計画というものに恵まれて、10周年への勢いがついたというか。
今の状態だったら10周年をいい形で迎えられそうだなって思っていて、でも環境は甘くないっていうのは平行して思っていることで。
まぁ、私が「そろそろだよね?」と。「10周年を迎えたあと、みんなどうしたい?」って切り出したのは、私です。


メロン記念日というグループがこの四人だった」っていうことを最初から最後まで貫く為には、この四人で一緒にステージを降りたい。
ここで誰かが欠けたらメロン記念日じゃなくなる、っていうのはみんなそれぞれが思ってたことだから。だったら、四人で一緒にステージを降りた方がメロン記念日らしくないかと。
そしたら結局、みんなも思ってることが一緒だった。



【解散】を聞いて

つんく♂
久しぶりに斉藤からメールがあって「10年を期に解散を決めました」という報告があって、かなり早いタイミングで。
潔さに対して嬉しさを感じて。それぞれがチャレンジする時になってきた。四人でいる意味がなくなってきた。
それと同時に攻撃性のある曲を持ってるので、ライブで見れなくなるのかと思うともったいないな、残念だなという気持ちもあったんですが。
途中、何度もへこたれそうになったり、辞めたいっていうメンバーもいたりとか。
芸能界が嫌だとかメロン記念日が嫌だってことじゃなくて、自分をどう表現していったらわからない。モーニングとか松浦亜弥とか新人が出てきた中で、メロン記念日もブレイクしそうでしないもどかしさがあったと思うんです。
辞めたいっていうより、自分への不安ですね。
逆に言えば10年よくもったなというも気もしてるんです。
それはスタッフにも“メロンシンパ”が居て、応援してる人がいたんでやってこれたんだと思います。
彼女たちがマイクを置くっていうのは、僕にとっては寂しい部分もありますけど、良かったな、頑張れよっていう旅立ちへの期待感の方が大きい気がしてます。




――つづけ――