南アルプス天然少年団

南アルプス天然少年団

通りすがりの傍観者の足跡。

『SOUL FLOWER』感想

(以下、公演終了につきネタバレ多数。未見でDVDを楽しみにされている方は読まないか、読んでも斜め読みしてください)



近未来。
過去にあった大震災と隣国からの攻撃により、廃墟と化したトーキョー。
街は「ヒルズ」という選ばれた人々が住む地域と、産業廃棄物や放射性廃棄物が不法投棄された「セクト」という地域に分けられていた。
セクト」は汚染レベルによりAからDまでに分かれており、住民にはチップが埋め込まれて行動範囲も制限され、音楽さえも禁止されていた。
長い汚染は、人間の遺伝子に突然変異の起きた「ミュータント」と呼ばれる特別な力を持つ人間たちを生んでいった。
サガミ(郷本直也)はミュータントとして生まれながらもセクトDの人々と共に暮らしていたが、ある日「ミュータント捕獲令」が施行され地下に幽閉されてしまう。
数年後――。
ヒルズの支配者ジョーカー(林明寛)は、“バベルの塔の再現”ともいえる「ヒルズA」という巨大ビルを建設していた。
そのジョーカーが心を奪われている「枯れた花を咲かせる」とさえ言われる歌声を持つ歌姫キーコ(大谷雅恵)。
しかしキーコは、差別主義者たちに「セクトD出身でミュータントの疑いがある」と突然拉致され、記憶を消されてセクトDに捨てられてしまう。
何も思い出せないまま「まっ白」を名前としたキーコをセクトDの住人達は受け入れる。
キーコを取り戻そうとするジョーカーは、セクトDを消してしまおうと企み、セクトDの人々はこれに対抗すべく立ち上がる。
また、キーコに惚れているヒルズのスター・クロサワ(山沖勇輝)は、独自にキーコを救出しようと画策する。
セクトDの人々は、戦闘能力のあるサガミを長い間の幽閉から解放して協力を仰ぐが、サガミは自らの自由を奪った人々への憎しみから拒絶する。
しかし、音楽が禁止されていたセクトDに響きわたるキーコの歌声を聴き、サガミは彼女が何者であるかを思い出すのだった…。




事前に予告編を観たり簡単なあらすじを読んだ限りでは、『ブレードランナー』かな?…と思ったものだった。
結果、ではなかったものの、『ブレードランナー』ではレプリカント(人造人間)、この『SOUL FLOWER』ではミュータント(突然変異体)というのがキーワードになっており、『ブレードランナー』のレプリカント狩りの如く、ミュータント狩りがあって、事前にミュータントであることが明かされているのはサガミだけであるが、実は誰々もミュータントで…というストーリー展開になるのは予想出来た。
また、誰がそうなのかは事前に配役を見ていれば誰でも予想がつく。


ジョーカーはむろん『バットマン』だろうし、『アリス・イン・ワンダーランド』も多少入っているような…。
また、キーコとクロサワ、ジョーカーの三人の関係は『ストリート・オブ・ファイヤー』ダイアン・レインマイケル・パレ、リック・モラニスを彷彿とさせる。


ともあれ、あっちこっちからいろいろと持ってきたなぁ…という感じ。
しかしまさか「9.11」からも持ってくるとは思わなかったが…。



状況設定がややこしいわりにはストーリーには入っていける。
どうしても「3.11」以降の現状、これからを考えてしまう世界。
しかし、登場人物たちの内面・心情にまでたどり着けるかというと必ずしもそうでもない。
例えば、この作品におけるミュータントというものが具体的に普通の人間とどこが違うのか?ということが説明不足なので、具体的には彼らの哀しみの部分についてはわからないのである。
こういった作品の場合、ストーリーをわかりやすくするか、難しくして深味を持たせるかという選択肢であったりさじ加減であったりは作り手側としてなかなか難しいところなのだろうと思う。
また、この作品ではミュータントというものがマイナス的なイメージとして描かれているが、必ずしもそうではないというのは、筆者などよりもSFに詳しい諸兄には説明するまでもないことである。


劇中の時間軸が不可思議で、キーコは子供から大人へと成長しているのに、他の登場人物たちに時間の経過が感じられない。
まさか、他人より成長が早いというのもキーコの特殊能力であるわけもないと思うが…。
また、劇中で多くの人の死が描かれている。
登場人物の死というものは、それだけでドラマになってしまうきらいがあるが、この作品の場合、ストーリー展開の中で登場人物たちの置かれた過酷な状況を表現するのに不要ではないと思う。
ただ、死の表現は映像作品と比べてリアリティに欠けるのは否めない。
殺陣も確かに凄いんだけど、登場人物、とくに男性陣の誰も彼もが殺陣をやってしかも全員が腕が立つ、というのはむしろ違和感がある。
まるで「日本人はみんな空手が出来る」と誤解したアメリカ人がかつて作った妙ちくりんなカンフー映画のようではないか。


退廃した未来を扱った作品というのは好きな人も少なからず居て、面白いのはわかるが、筆者はどうも苦手で、そういう未来像を望んでいるかのようでどうしても二の足を踏んでしまう。
また、そういう世界を作ってしまうほど、人間はそこまで愚かではないだろうとも思っていた。
しかし昨今、一企業や二三の官庁や関連団体の無能や怠慢や傲慢によって起こりうる事態なのだということを痛感させられ、あながちあり得ないことではないとも思うようになったのは残念である。



主演のサガミ役:郷本直也氏は殺陣の洗練さもあってカッコ良さは際立っていた。
ただ、ミュータントとして生まれた哀しみは、前記のように不明瞭であった為に、役柄に深味を持たせることは出来なかったように思う。
ヒロイン・キーコ役の大谷雅恵殿は、先日のトークライブにて、後藤那奈殿演じる子供時代に寄せて演じたという風に語っていたが、よりピュアなキャラクターを際立たせており、まずは成功だったと思う。
記憶を消されてから目覚めるところを仔馬の生まれるような表現にしたのは今作中でも名(迷?)場面のひとつ。
また、同じく先日のトークライブにて『Rooftop』椎名編集局長が言っていたように「また車椅子か!」「また記憶喪失か!」という思いもあったが、確かにハマっているのは事実である。
「その人にしかない声といい曲が合わさった時に衝撃を受ける」「声が良くて、歌も上手くて、何かを伝えようとしている人に憧れる」(『MELON KINEN-BI ROOFTOP YEARS:2007〜2010』ラストソロインタビューより)と語っていた人だから、今回の“世界を救うかもしれない”歌姫役は嬉しかっただろう。
「来年は舞台には出ない」と宣言して臨んだ今回の舞台、一応の集大成として気合が入っているのは客席からでも感じられた。
クロサワ役:山冲勇輝氏は『世界は僕のCUBEで造られる』『下北箱庭HEARTs』でもどつかれまくる印象があったが、今回も…。
ジョーカー役の林明寛氏は、愛嬌あるところと憎々しげなところをバランス良く演技していて、文句なく今作品のMVPであろう。
設定を某企業の末裔にしたのは苦情でも来ないかとちと心配であるが…。



おそらくジョーカーという人物は、バベルの塔を造ってしまえば自らも破滅することがわかっていて造ろうとしたんであろう。
ASSH作品はストーリーを進めるにあたって敵役が無理やりなキャラクターになっていることが多いが、この敵役については(キーコがかつて愛したこともあるという設定なので、完全な敵役とはいえないかもしれないが)、自ら破滅への道を歩まねばならない(その根源については前記の如く不明瞭であるが)という哀しみが観客の同情を誘う。


いや、いけない――。


破滅への道を歩もうとする人物に同情や共感を覚えるのは、それもまた破滅への道だ。





――『SOUL FLOWER』、了――