大山山頂から見晴台方面へ下山(2010年6月16日放送『いい旅・夢気分』にて中澤裕子殿が登りに使ったルート*1)。
見晴台まで下りず、不動尻・広沢寺(こうたくじ)方面へ折れる。
このルート、筆者の持っているガイドブックによると、「あまり使われないルートなので、道が荒れているところもある」とのことであったが、それほどでもない。
しかし、確かにほとんど人には会わない。
1時間ほど行くと、展望が開けてくる。
このあたりでこのルートで初めて人(単独行の女性)に会った。
「このあたり、夜景きれいでしょうねぇ」
と、話しかけられたので、
「そうですねえ」
と、答えたものの、夜間はここには来れないだろうなぁ…。
なお、ところどころに休憩出来るベンチもある。
ただ、コースは長い。
山頂にあった地図には「約1時間半」とあったが、とてもそんな時間では着きそうにない(結局2時間半くらいかかった)。
ちょっとした鎖場もあった。
最後の関門は、心霊スポットとして知られる山神トンネル。
わりと長いトンネルなのに電灯もなにもなくて真っ暗。確かに気味が悪かった。
なお、このあたりは近くの鐘ヶ岳への登山口にもなっており、そのルートはトンネルの上を通ることになる。
ここからは舗装された道。
このあたりは七沢温泉郷と呼ばれ、近くにたくさん温泉があって、立ち寄り湯が出来る。
http://www.koganeishuzou.com/kannkou.htm
昔は城もあった。
室町〜戦国初期の城で、扇谷(おおぎがやつ)上杉氏の居城。
関東管領:上杉氏が扇谷上杉氏と山内上杉氏とに分裂して内部抗争していた時期の城で、室町初期の築城説や戦国初期の扇谷上杉氏家臣で江戸城を築いたことで知られる太田道灌の築城説もあるらしい。
道灌の時期の七沢城主は扇谷上杉朝昌(七沢朝昌とも称した)で、敵将・山内上杉顕定の策略によって功臣の道灌を暗殺してしまった扇谷上杉定正の兄弟である。
定正の養子となって扇谷上杉氏を継ぐ朝良は朝昌の子。
なお、道灌の暗殺場所の糟屋館は現在の神奈川県伊勢原市。道灌が暗殺される時「当方滅亡!」と叫んだ通り、道灌の死後、扇谷上杉氏は没落していく。*2
時刻は16:30。
いちばん近い広沢寺温泉・玉翠楼(外観だけしか見てないが、風情ある立派な旅館であった)は立ち寄りは17:00までとのことで、次に近い七沢荘へ行った。
犬さんが出迎えてくれる。
そういえば太田道灌のひ孫にあたる太田資正という人は犬好きで、戦用に訓練した“伝書犬”を使って味方と連絡を取り合った…なんて話を七沢城の話から思い出す。
また、この七沢荘はペットと一緒に宿泊出来る施設もあり、温泉入口付近に犬さんや猫さんが数匹ずついた。
露天風呂が三つある。ぬるっとした泉質。
「あるがまま なすがまま 気楽にのんびり生きてみたい」
いや、ホント(笑)
待合所も広く、自販機や喫煙所もあって、入浴後はのんびり出来る。
筆者久しぶりの登山。
長い下山コース。
温泉。
缶ビール一本呑んだら、1時間くらい動けなくなったでござる。
20分ほど歩くと広い道に出、路線バスが走っている。
バスに乗ると30分ほどで小田急線本厚木駅に到着。
――丹沢大山→広沢寺温泉、了――