今更ながらに2012年を振り返って、アップアップガールズ(仮)との出会いは大きかった。
ここ数年、太陽とシスコムーンの再結成、メロン記念日解散、ドリーム モーニング娘。結成…という流れの中で、ソロになったり卒業したりの各メンバーの個々の活動は応援していたものの、結局のところ、「やっぱりグループはいいものだ」ということを再認識させられることとなった。
2012年3月10日、ドリーム モーニング娘。活動停止。
そんな頃、ちょうど活動が活発になってきたのがアップアップガールズ(仮)であった。
ドリムスラストとなった武道館公演*1にて、客席で観覧している彼女たちを偶然見た、ということもなにかの因縁だったかもしれない。
デビュー曲『Going my ↑』には頭をぶん殴られた。
まさか自分たちを“負け犬”と称するアイドルが出てくるなんて…。
でもよく考えれば、ハロプロ本流・モーニング娘。も最初は負け犬の集団だった。
そうすると、アプガはむしろハロプロイズムの正当な後継者といえるかもしれず、初期モーニング娘。を麻雀に例えて“国士無双”(「捨て牌を集めたら役満になった」)と言っていた人がいたが、今はその例えはアプガの方がふさわしいかもしれない
そして、日本人は貴種流離譚が好きである。
ヤマトタケルノミコト、源義経、真田幸村、水戸黄門、赤穂浪士…。
名門校ハロプロエッグを放り出されたアプガのメンバーは、以来、流浪の姫となった。
今回は、姫たちが苦労しながらも旧臣や新たなる家臣・援軍の勢力を得て、故郷の横ブリ城へ帰るまでの物語。
それがすなわち「第一章完結編」。
しかし、
仙石みなみ「アプガで横ブリに凱旋出来るっていうことは、やっとそこでエッグの頃の自分たちに並べたってこと。まだまだ足りない。あの頃の自分たちに7人で並べたなら、ここからがスタート」
(『上々少女's』#67より)
という冷静さにはおそれいった。
これは彼女たちが苦労をしているからこそ生まれた、やや自虐を伴う冷静さということも出来る。
しかし、ライブで溢れさせる感情と冷静な頭をバランスよく持つことが出来れば、まだまだ上へ行けるという確信にもつながる。
細かいところでいえば、『新潟決戦』の時に元メロン記念日:斉藤瞳が指摘していた「アプガに足りないもの」。
「<お客さんひとりひとりの目を見る〉っていうのが欠けてるんじゃないかなと思いましたね。ライブハウスだからこそ、流して見るんじゃなく、しっかり目を見てコミュニケーションするのは大事だと思います」
http://tower.jp/article/series/2013/03/19/upupgirls_kari_02
この日会場に居て感じたのは、「今日はなんかやけにメンバーに見られてるぞ」という実感だった。
先輩のアドバイスはちゃんと活かされていたのである。
最後に、夜公演でリーダー(仮)に起こった異変について。
アプガは単独ライブ昼夜公演にて、メンバー全員無事だったということがまだ一度もない。
『代官山決戦(仮)』夜公演では古川小夏の声が枯れ、関根梓はもうほとんど声が出ない状態だった。
『六本木決戦(仮)』夜公演では公演途中に森咲樹が過呼吸状態になり一時退場、最後には佐藤綾乃がまったく声が出ず…。
今回はリーダー(仮):仙石みなみにそれが起こってしまった。
そういう意味では“まだまだ足りない”グループといえるかもしれない。
しかし「喋りは出来ない、でも歌は唄える」という状況。
いったいそんなことが起こりうるのか…?
とも思ったが、現実に目の前で起こっていただけに信じざるを得ず、むしろそこからは、横浜BLITZだったりこの公演だったり、これからのことだったり、とにかくいろんなことに対する執念をさえ感じた。
――『アップアップガールズ(仮)3rd LIVE 横浜BLITZ大決戦(仮)』、了――
*1:「ドリームモーニング娘。スペシャルLIVE 2012 日本武道館 〜第一章 終幕『勇者タチ、集合セョ』