アンジュルム、4期メンバーに熊本県の高1・上國料萌衣が決定。「なるべくして入ってきた娘」 https://t.co/LgO41oqhZY #アンジュルム #angerme #熊本 pic.twitter.com/mEc1u2U1Iw
— BARKSアイドル(かわいこちゃんねる) (@barks_kawaico) 2015, 11月 11
ひときわ目立つこの「上國料」という苗字。
江戸時代の薩摩藩(島津家)の農民政策からきているようですな。
上國料殿、熊本出身であるが、どうやらそのルーツは鹿児島にあるよう。
http://folklore2006.jp/204.htm
鹿児島県鹿児島市の宇宿(うすき)商店街のサイトを見てみると、島津藩時代の門制度についての記載があり、その中に「国料」「上国料」の記述がありました。それによると、宇宿には他地区のように郷士(ごうし)は多くなかったが、農民はそれぞれの「門(かど)」に編成されて、他藩には無いような強力な封建制度が確立されていました。
「門」には一名の「名頭(みょうず)・別名(おつな)」と何人かの「名子(なご)」がいて、それぞれが「家部(かぶ)」と呼ばれる単位体をなしていた。「名頭」はその責任者で代表者。「国料」「上国料」はその門の一つのようである。
江戸時代には農民の家5〜20軒が集まった「門」という組織がありました。門は村の基礎的な単位で、リーダーである名頭(みょうず)の家と、構成員である名子(なご)の家からなり、一定の地域にまとまって居住していました。そして、農業や日常生活も門を単位に協働して行われていたのです。
領主は門ごとに耕地を割り当て、一定の期間ごとに割りかえる門割制度を採用していました。これは、場所によって生産力に違いがあるので、公平にするために採用された制度でした。
ご先祖は、この「上國料」という「門」を束ねていた「名頭」の家柄であったのであろうか。