南アルプス天然少年団

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通りすがりの傍観者の足跡。

メロン記念日20100219・雑感2

2月初旬のある日のこと――。


職場にて、ちょっとした人事の話の最中に、上司の一人が、
「まぁ、でも…。個人の人生設計までには口出し出来ないからなぁ…」
と、ポツンとこぼした。
(そうだよなぁ…)
と、その時は思ったものだが、そんなことが数日後にメロン記念日にはねかえってくるとは思わず…。




今回の公式発表、「斉藤瞳」が「“斎”藤瞳」になっていたりするので、我々は疑いの目を持って見なければならなかったわけであるが、まぁ、未だに「飯田香織」だ「小川真琴」だ、と誤植の多い事務所なので…(笑)、まぁそれはいい。
チーマネ氏の説明もそれを補足する形になっており、これを額面通りに受け止めるなら、今回のことは彼女たちの人生設計にも関わってくることなので、そこはヲタといえども口出しは出来ない。
チーマネ氏も出来なかっただろう。



だがしかし、
「彼女たちがいつ、どのような過程で“決断”したか?」
というのは、大いに気になるところである。



思えば、『凱旋』ツアーしかり、
メロン記念日物語』しかり、
アルバムタイトル『MELON’S NOT DEAD』しかり。
今日の事態を予測させる要素は十二分にあった。
つまり、メロン記念日は10周年に向けて終結させるべく歩んで来たのではないかと。
まるで10年の期間限定だった(はずの。わずかに期間延長中)Zeppのように…。
Zepp Sendai存続の署名運動に協力した村田父娘の胸中はどうだったであろう…?




そもそも、昨年からの“メロン記念日ロック化計画”とは何だったのか?
筆者も含めて、ハロプロを離れて、次なるステップへの足固めと捉えていたヲタが多かったはず。
その到達点というか着地点というか、「夏フェス出演」というものを見据えていた人も多いと思う。
これはなにもスタッフやヲタだけではなく、例えばBEAT CRUSADERSのベーシスト:クボタマサヒコ氏の、
「アイドルがどんどん夏フェスに出るようになったら面白いなと思うんで、(メロン記念日が)そのきっかけになってくれたら…」
(2009年9月26日放送『音流』より)
という発言もある。
せっかく周囲が“開拓者”としての栄誉をお膳立てしていたのに…。もったいない。



しかし、今となっては、このロック化計画そのものが、彼女たちに花道を飾らせる為の企画だったのではないか?…という疑念さえ生まれてくる。
(チーマネ氏は否定しているが)


各コラボ曲のタイトル、
DON’T SAY GOOD-BYE→ピンチはチャンス バカになろうぜ!→sweet suicide summer story→青春・オン・ザ・ロード→メロンティー
…という流れも、なにやら彼女たちの心の揺れ動きを示しているようで判じ物めいてくる。
とくに『sweet suicide summer story』の「sweet suicide=甘い自殺」というのは、今回のなにごとかを象徴しているようで意味深である。



しかし、だとすれば、今後あまり歌われていかないであろう曲をわざわざ作ってもらったわけで、以前から親交のあるビークルさんたちはともかく、そんなことを初めて組むコラボバンドにお願い出来るものだろうか?
(年末レコーディング予定だったが年始にずれこんだというBEAT CRUSADERS作による『ALWAYS LOVE YOU』がそういう意味の曲であったことは明らかにされている)



また、そうなると、どうしても腑に落ちないのが、昨夏の舞台『すこし離れて、そこに居て』のアフタートークショーの際の、
「来年の夏はフェスに出られているといいな」
という大谷雅恵発言や、
カウントダウンライブの際の、
「これからは対バン形式のライブに出ることが多いだろうから…」
(実際には、現時点ではシンジュクアクションの一回のみ)
という物販Tシャツのデザインに関してのやはり大谷発言は、いったい何だったんだ?…ということ。


これを場を盛り上げる為だったり物販促進の為の発言、と捉えることも出来るが、実際にその発言を聞いた者としては、そこにはそれだけではない、本音が垣間見れるような気がしてならないのである。
しかも前者の発言に至っては、舞台上でいったん違う抱負を述べたあとに、演出の太田善也氏に、
「さっき楽屋で言ってたことと違うじゃん(笑)」
と指摘され、改めて促されて口にした発言なのである。



昨夏、BEAT CRUSADERSのゲストとして何回か呼ばれた夏フェス。
メロン記念日を夏フェスに!」
という声は意外に古く、既に『This is 運命』の頃にあったと思う。
筆者などは、「ホントに出ることになったら面白いな…。行くかどうかは実際に出ることになったら考えよう…」くらいのスタンスだったが、ずっとそれを夢見ていたヲタの方も少なからず居たはずだ。


今回の出演は、各フェスともせいぜい2曲程度のゲリラ的なものだったが、「シークレットゲスト」という形であった為にヲタにも内緒だったことから、一部ヲタからの批判を浴びた。
しかし、あれが一種の肩慣らし、本格的出演へ向けての彼女たちなりの“偵察行動”であったと捉えれば、それはそれで良かったはずだ。


結果的には、あれが最初で最後の夏フェス出演。
(DVD特典映像『夏フェス初参戦ドキュメント』のタイトルの響きが虚しい…)
今となっては、シークレットであったことを積極的に批判せねばならないだろう。
だいたいシークレットが通用するのは一回だけだろう。だから、一回目はいい。
何回か出演するなら二回目以降はシークレットにする必要は感じられない。
筆者などはそこまでの根性の持ち主ではないが、例え2曲程度の出演ではあっても、大枚はたいてでも遠征し、夏フェスで歌うメロン記念日の姿をこの目で見たかった…というヲタの方も居たはず。



次こそは、堂々と正面から――。


メロン不在であろうがステージ上のバンドに惜しみなく声援を送り、初めて聴くMCにも気のきいたリアクションで応える、かなりのお調子者だが、ちょいと気のいい観客どもを率いて、フェスに乗り込むのではなかったのか?



「四人で決めた」
とはいいながらも、そこには、各メンバー間の意思に温度差があったように思えてならないのである。



だいたい2月19日の段階において、5月4日以降の活動を「未定」と発表せざるを得なかったことが、既に異常事態である。


ソロ歌手になります。
女優を目指します。
シンガーソングライターになります。
進学します。
留学します。
モデルになります。
さすがに学業専念というのはないだろうが、なんかあるだろ、と。


5月4日以降のヴィジョンさえなく“決断”したとはとても思えない。
おそらく、カウントダウン時のMCにてちらっと話の出た、
「メロンとは別に個人としてやってみたいことを事務所と話した」*1というのが、実は5月4日以降に向けての話で、まだ発表するには確定していない事柄があるのではないかと。



やはり、最終的な決断がなされたのは、比較的最近のことだったのだろうと思わざるを得ない。
そしてそれは“開拓者”となる栄誉を捨ててまで、彼女たちの人生設計に関わってくることだったのだ、と。
彼女たちはメロン記念日をアイドルグループとして終結させる道を選んだのだ、と。
もしかすると、この日のMCで話題となった、
「『告白記念日』が踊れなくなったら…」
というような、モノサシでもあったのではないかとすら思ってしまう。




最後に、エールに代えて――。


『MELON’S NOT DEAD』リリース発表以降、
メロン記念日の音楽や思い出はいつまでも心に残るもの」
というような発言がメンバーやら関係者やらから数多く続いている。
ニューアルバム発売なのに、こういう後ろ向きな発言をし始めた(“ライブはメロン”じゃなかったのか?)あたりから、なんとなくのキナくささを感じていたわけであるが…。



これは一種、正論である。



そして、決定的に間違っているともいえる。



メロン記念日の歌や思い出は残ることになるかもしれない。
しかし、それを決めるのは、メンバーや関係者やましてや現在の我々ではない。
その決定権を持っているのは、5月4日以降の我々である。



思い出にするにはまだ早い。



ていうか、残りわずかな期間の活動次第によっては、思い出になんかしてやらないぞ(笑)




――おわる――
 
 

*1:斉藤瞳殿が「グラビアやりたいです」と言ったという話。