南アルプス天然少年団

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通りすがりの傍観者の足跡。

『MELON KINEN-BI ROOFTOP YEARS:2007〜2010』ラストソロインタビューを読み終えて

メロン記念日」という課題

もうずいぶん以前に読んだ本なので、詳しいことは忘れてしまったが、とある学者がアフリカのサン人(いわゆるブッシュマン)のとある部族に協力してもらい、ある実験を行なったのだという。
部族の中から、ランダムに四人ずつピックアップしてグループを作り、それぞれのグループにある課題を与える。
例えば、何日間の間にどこそこまで行ってカモシカを狩ってこい、といったように。
結果、成功したグループも失敗したグループもあり、両者を比較すると、成功したグループは四人の間の役割分担がきちんと出来ていたことが判った。


四人の役割とはすなわち、
1)リーダーとなる人物(首領、司令)
2)方角や地形を見て狩りに適した場所を割り出す人物(祭礼、参謀)
3)狩りの主力となる人物(狩人、戦士)
4)みんなを笑わせたり和ませたりする人物(道化)
である。
(サン人というのは本来、平等主義の民族で、部族をまとめるリーダーも居ないし、身分や地位の差もないらしい)



今回のラストインタビューを読んで、いちばん最初に頭に浮かんだのが、この話だった。
つまり、オーディションでピックアップされた本来平等だった四人は、「メロン記念日」という課題を与えられ、その課題を成功させるべく、試行錯誤の上に役割分担をし始めたのだ、と。
それも面白いのは、メロン記念日の場合、その時その状況によって、この役割分担を変えていたように思う。
時には、狩人大谷だったり、道化柴田だったりと…。
大谷雅恵インタビューにあった、
「悩みの種類によって相談する相手が変わる」
というのがなんだか象徴的である。
 
 


リーダー交代

メロン記念日の歴史を特徴づけているもののひとつが、このリーダー交代劇だと思う。
モーニング娘。のようにリーダーが卒業するので交代、といったものではなく、あくまでも適材適所、配置転換という理由からであった。



以前筆者は、ハロプロ各グループ・ユニットのリーダーを、ラグビー伝統のライバル校・早稲田大学明治大学のキャプテン像を引き合いにして、ちょっとした考察を試みてみた。
http://d.hatena.ne.jp/captain-tanzawa/20080306


早稲田は、マネージメントや理論に優れ、説明能力に長けた人間を選ぶ傾向にあり、チームのエースがキャプテンを務めることが少ない。
対して明治は、チーム最強の人間、喧嘩になったら勝つ人間を選ぶ傾向にあり、チームのエースがキャプテンを務めることも多い。
これは、どちらが正しいということではなく、チームカラーに合ったリーダー像ということである。
早稲田は寮生活などで民主主義が徹底しており、先輩が後輩を私用で使うことが禁止されている。
明治はその点、先輩・後輩は親分子分の関係で、その代わり先輩は、後輩の面倒をみることが徹底している。


これをハロプロの各グループ(2008年3月当時)に当てはめてみると、歴代モーニング娘。をはじめ、美勇伝音楽ガッタス℃-ute*1…と、明治型のリーダーが多いことがわかる。
これらのグループは先輩‐後輩の縦のラインを大切にしており、明治型のリーダーの方が適しているのだろう。


そんななか、メロン記念日Berryz工房だけが早稲田型のリーダーを有している。
この二つのグループは年齢差はあるが、同期生の集団である。この場合は、明治型よりも早稲田型のリーダーの方が適しているのであろう。



今回のインタビューを読むと、村田めぐみ殿も斉藤瞳殿も、当初明治型のリーダー像を頭に描いていたことがわかる。
それはリーダー像のモデルがモーニング娘。だったからだろう。
しかし、そういうリーダーだったら、メロン記念日には必要なかったのだ。
その点、本来そういうキャラクターではない村田殿(最年長なのに年下キャラ)が苦悩したのもわかるし、斉藤殿が試行錯誤の上、現在のようなリーダーとなっていったのは正しい選択だったのだと思う。
 
 


5月4日以降のこと

斉藤瞳殿の引退については、椎名編集局長も言っているが、いちばん芸能界に向いているように思えた。
しかし、この人の場合、派手でサービス精神旺盛な言動とは別に、どこか他のメンバー(メロンだけではなく他の新旧ハロメンを含めても)とは違うところがあったように思う。
あまりにも普通の感覚というか、常識的というかなんというか、実際そういう場面に出くわしたこともあるので…。
しかし、そういう人が、
「向いていない」
というのは、むしろ芸能界の方が寂しい世界ではないか。


その斉藤殿にしろ、村田・柴田殿にしろ、解散後のことはふわふわと曖昧模糊で、解散の理由さえぼやけてくる。
そんな中、大谷雅恵殿だけが、いちばん将来像がはっきりしている。
次の個人ブログについても準備しているらしいし。
そういったところが、もしかすると斉藤殿の言う、
「まぁしぃがこの世界に一番向いている」
ということなのかもしれない。



斉藤瞳殿については、どこかで猫カフェかなんかやってくれたら素敵だと思うんだけど…。
 
 


テレビじゃ見れないメロン劇場

しかし今回のラストインタビューはボリュームがある。
もちろん10年間という歳月、「あの時…」「この時…」というターニングポイントがあったわけだし、聞き手がメロン記念日を愛してやまない椎名編集局長で、いろいろなエピソードを知っているということもあるけど。


それにしても、ターニングポイントがいっぱいあるんだよな、このグループは…(笑)



で、ふと思ったのは、メロン記念日の最も誇るべき点は、その楽曲やらライヴではなく、メロン記念日というグループが歩んできた道のりそのものだったのではないかということだ。
メロン記念日とそのヲタが誇りにしていいのは、
「もうダメか…」
と思われた状況から、何度も何度も這い上がってきた歴史の積み重ねではなかったのかと。



モーニング娘。をはじめとするハロプロの各グループは、それぞれがドラマチックなストーリー性を有しており、このことが他のアイドルグループとは違う大きな魅力であると思う。
しかし、モーニング娘。の『ASAYAN』からスマイレージの『美女学』に至るまで、それにはTVというメディアのバックアップがあった。


しかし、メロン記念日の場合は、ごく初期に『アイドルをさがせ!』で軽く触れられたのみで、むしろ本当のドラマはそのあとだったわけで、実質的にはなんの恩恵も受けていないといえる。
だから、真実の『メロン記念日物語』は、TVという巨大メディアに頼ることなく、メンバーとスタッフとヲタが作り上げたものだ、と強がりを言ってみることも出来るだろう。
それはかつて、柴田あゆみ殿の故郷を本拠地にしていた某プロ野球チームの、TV中継が少ないことを逆手にとったキャッチコピー「テレビじゃ見れない川崎劇場」の如く、むしろ痛快である。



メンバー当人たちや舞台『メロン記念日物語』や『AERA』の記事で語られてきたように、確かにメロン記念日は一流のアイドルグループではなかったかもしれない。
しかし、
「一流の歴史を持っていた」
ということは言えるのではないだろうか。
低迷していた時期、苦悩していた時期がなければ、『This is 運命』や『赤いフリージア』だけだったら、それは二流の歴史だったかもしれない。


ターニングポイントが多いというのは、決して悪いことではない。
 
 

*1:当時有原栞菜が在籍。