南アルプス天然少年団

南アルプス天然少年団

通りすがりの傍観者の足跡。

『メロン記念日 Last DVD Magazine』その1

とりあえず、こちらから片付けさせていただきます。




メロン記念日DVDマガジンというと、過去、富士山に行ったり、無人島に行ったり、鬼怒川でライン下りをしたり、台風の中でバーベキューとか、『Rooftop』より『BE-PAL』に連載ページを貰った方がいいんゃないか?というような内容だったわけですが、さすがに『ラスト』ということで、ソロインタビュー形式。


これがなかなかボリュームたっぷりでして(108分)、しかも「濃い」というか「重い」内容でして…。
メンバーが言葉を詰まらせたり、思わず涙をこぼしても、カメラは延々とまわっている、といった内容です。



オーディションを受けたきっかけ

大谷雅恵
たくさんオーディションをジャンル問わずに受けていた時期に『妹分オーディション』を受けて。
そしたらたくさん受かり出して。“モテ期”みたいのがあったんですね。
でも、『平家みちよモーニング娘。妹分』というのがその中でいちばん旬で、いちばんビッグなのに賭けるしかないと思って。
高校三年生で大事な時期だったので、母親が反対するかと思ってたんですけど、「デビュー出来ます」ってアップフロントから電話がかかってきた時点で「行ってらっしゃい」って、送り出してくれたんで、学校もやめて、夢に賭けて、室蘭を出てくることが出来たと。



柴田あゆみ
小学生の時に「芸能人になる」って決めてて、「なるもんだ」と思ってて…。
中学三年の時に読売新聞に『妹分募集』が載ってたんで、受けようと思って切り取って、でも試験中で勉強しなくちゃいけなくて…。
何日かたって、やっぱり気になって切り抜きを見たら、その日が締め切り日で。バイトもしたことないから、履歴書の書き方もわからなくて、自分の身長・スリーサイズさえわからないレベルで…(笑)



メンバーの第一印象

つんく♂
ルックス的には可愛らしいけど、いかんせんリズム感に関してはかなりひどいな、という印象がありました。
モーニングたちに比べると、“肉々しい”なというか、重量級が入って来たなっていう感じの四人でした。



ユニット名が「メロン記念日」に決まった時の気持ち

斉藤瞳
正直、ショックだった(笑)
ダンサブルでカッコいい歌を唄うグループでデビューする、っていうのが夢だったから、夢が叶いそうだと思ったら、ユニット名でコケました(笑)
ただ、最終的には、みんなに愛されやすい名前で、「メロンぽい」とか言われるような、個性のある、面白いことやるユニットになれたのかな?



村田めぐみ
頭が真っ白になりまして…。
すぐには受け入れられなかったですね、正直。
横文字とか「〇〇娘。」を思ってたんで、まったく予想外の言葉がふたつ並んで…。どっからきたの?って。
親にも友人にも、しばらくは言えなかった。



■大谷
「ポカーン」でしたね。
つんく♂さんらしい普通じゃないのがくるとは思ってたけど…。
当時、むらっちと予想していて、「『〇〇娘。』とかヤだね、妹分だし来そうだね。北国出身が多いから『雪ん子娘。』とかくるかもね」なんて話してたんですけど、全然違って。
慣れるまで大変だったですね。



■柴田
「えっ!?」て…。
なんでメロン?記念日?っていう疑問が。
私は横文字のグループ名が良かったんですけど。
でも、「娘。」が付かなくて良かったのかな?



つんく♂
ユニット名を決める会議は朝までかかりました。
100以上の候補の中から勝ち残ったので、優秀な名前だと思います。
北国出身が多いので、りんごとか果実系な感じがしてたんですけど。
“肉々しさ”を感じたので、「メロン」て、向こうの俗語で「スーパーグラマー」っていう意味があるんですよ。
それと、「毎日が記念日なんです」って感じで。
「メロン」にそういう意味が含まれていたのは、メンバー今まで知らなかったと思います。



理想と現実〜華々しくデビューしたもののなかなか売れず…

■村田
メロン始まったらなくなっちゃったんですけど、最初に「21歳になったら一人ずつ卒業させるから」って言われてて、「私、二、三年しかいられないじゃん!」って思ってまして。
だから、「(次ダメだったら)解散」と聴いても、「ここで頑張ったらまだまだいける!」っていうのが、むしろ嬉しかったです。
毎回曲のコンセプトが違って、行き先不明だったんですけど、でも自分的には、どうにかなると思ってました。
四人とも歌も容姿もたいしたことないのにオーディションに受かったから、きっとラッキーが四人にある、って思ってました。



斉藤瞳殿
デビューする時点で「二年でダメだったら考えてくれ」って言われてたんで、やっぱりダメで、心折れそうになって新潟に帰ろうかな?と思ったり…。
でも、解散チラつかされたあとに、「次が…」と言われたので、『This is 運命』に覚悟を決めて臨みました。



■大谷
デビュー曲でトップテンに入るもんだと思ってたから、やっぱり芸能界は難しいんだな、って。
四人とも引っ込み思案だったから、デビュー当時はしょうがないけど、いつか怒られる、怒られて当然だと思ってました。
でも解散はイヤだった。まだ何もやりきれてなかったから。
「四人でなんとかしてやるぞ!」って気持ちがあったから大丈夫だったのかな?



■柴田
デビュー曲のがトップテンまではいかなくとも、20位以内くらいには入るものだと思ってて。期待と差があり過ぎました。
厳しいマネージャーさんがいて、その厳しい言葉ひとつひとつが、まだ15、6歳だった私には厳し過ぎました。
でも結果が出ないし、『電話待っています』でパートが増えて焦りましたね。
当時、ハロー!でも新しいコがデビューするたびに順位とか気になって…。
解散させるものか!って。



つんく♂
リズム感という点では、真野がどうだとか、光井が入ってきた時とか、紺野が赤点で…とかありましたけど、そのなかでも当時のメロンは最下位に近かった。
今みたいにエッグが居ないから、モーニングやシスコムーンと一緒だとヘタなのが目立つんですよ。
だから『LOVEマシーン』とか踊り系はダメだなと。でも、柴田・大谷が歌うまかったんでメロディものがいいだろうと。
柴田がフワッとか細い感じの声で、田舎っぽい清楚っぽい感じだったので、デビュー当時の山口百恵、昭和のアイドルのイメージがハマってるんじゃないかと思って、『甘いあなたの味』はああいう曲になったんです。
 
 


ブレイク〜『This is 運命』で状況が目まぐるしく変わり…

■村田
ついていけない部分が実はありました。
今の方がゆとりがあって、自分を出しやすい環境だと思うんですけど、でも、あの時があったから集中力がついたし、いろいろな方たちに出会えたので良かったんじゃないかな。
仙台でやっているTV番組に出られて、家族や友達に私が頑張ってる姿を見せられて嬉しかった。



■大谷
『〜運命』はその時は「やらなきゃ!」と思って全力でやってたんですけど、今CD聴くとまだまだやれたなと思うところもあるんですけど、メロンのそのちょっと足りない、完璧じゃないところが好きだったりするんで…(笑)
でも『〜運命』で四人それぞれの個性を出しきることで、メンバーそれぞれに自信がついて、グループの結束がより強くなった気がします。
さぁ!恋人になろう』でも見た目のバラバラ感を出して、これが武器だなと。
でも、大きなTV番組に出ると緊張しちゃって、誰も喋れなかった。「私が…!」って人がその頃はまだメロンにはいなかった。



■斉藤
正直よく覚えてないんです、忙し過ぎて。
お休みも睡眠時間もなくて、何やってるかわからない瞬間がありました。
でも、有名なTVに出れるし、地元の人にも観てもらえる、やっとメディアに出れた嬉しさがあって。
わけわかんないけど、充実感や幸せはあって、楽しかった。



■柴田
当時は忙しいと思ったことはなくて、当たり前のことだと思ってました。
毎日いろんなことがあって楽しかった。
『さぁ恋』は渋谷のセンター街とか表参道に看板やポスターをいっぱい出してもらえて、「もっと頑張らなきゃ!」って思ってました。
『Mステ』に初めて出られた時も嬉しかったし。
自分たちがキラキラしてた気がします。
「武道館でやれるようになるぞ!」とか、前しか見てなかったですね。



柴田メインというシフトになって

■村田
「なんで…?」とは思ったけど、しばらくして受け入れられるようになって…。
「ダンスで見せればいいじゃん!」って。
といっても、私はダンス覚えるの苦手なんで(笑)
家に帰ってからも一生懸命練習したので、ダンスの方が好きになっていきました。
柴っちゃんが唄うことでグループが上がるならいいし、四人で唄えればそれもいいし、グループの仲の良さでそこはなんとか…。



■斉藤
悔しい。
それを受け入れてあげれなかった。
「私だって唄いたい」っていう我が出ちゃって、きっと可哀想なことをしてしまったんだろうな…。
メンバー内がどうしても1‐3の構図になってしまって、それを周りの人に見られるのも嫌だった。
あの時期は人間的に未熟過ぎて…。
今なら、あゆみが当たってくれたから、『香水』とか素敵な曲になったのに…。
未熟だったなぁ、って思いますね。



■大谷
『電話待っています』で一度その体制になった時には、気持ちが堕ちるとこまで堕ちましたね。
アイドルグループとしてメインが要るのはわかってたけど、自分が後ろにいるのは嫌だった。
あゆみんが一人でお仕事行く時に「頑張ってね」って言ってあげれなくて…(泣き出す)
(このあとしばらく涙、涙)
あゆみんに「ゴメンね」って言ってあげられなかったから…。
あゆみんも大変な思いしてるのに…。
ウチらが背中押してあげないといけなかった…。
早く大人になれれば良かった…。
赤いフリージア』で結果が出せた時に吹っ切れたのか…。
これで良かったんだ、自分たちがメインを引き立てる役割を果たせたんだっていう…。
フリージア』がヒットしてなかったら…。
そういう意味ではタイミングが良かったのかもしれないですね。



■柴田
辛かったですね…。


(このあと声を詰まらせ、しばらく沈黙が続く)


もともと歌に自信があったわけではないので、『甘いあなたの味』の時なんか、「よくオーディション受かったな」って思うくらいヘタくそだったし、そんな私が大丈夫なのかな?って。いちばん年下だし、気を使いました。
当時のマネージャーさんに「お前がやらなきゃダメだぞ」って言われても、「リーダーいるのに…」って。
つんく♂さんからも電話で「TOKIOの長瀬みたいにならなきゃダメだ」って言われたんですけど、ガツガツいくタイプではないので、余計に緊張したり不安に思ったりして、歌が思うように唄えなくなったり。
怖くて、息が続かなくなったりもしました。
でも、それは幸せな悩みだし、みんなは唄いたくても唄えないわけだし、みんなが納得するように努力しなきゃって、気持ちを変えていくしかなかったですね。
年下だからあんまりでしゃばらない方がいいのかな?、でもメロンは同じスタートだから、年とか関係ないのかな?って思ったり…。
『電話〜』のポスター(サイン)書きの時に、部屋に入ろうとしたら、私の話をしている声を聴いてしまって…。私がメインをやることに納得してないんだなってことを知ってしまって…。どうしようかな?って…。
一人での仕事をやらせてもらったんですけど、不安、葛藤、緊張…、嬉しさもありつつ、何年か過ごしていきました…。




――つづけ――