酔の助閉店(5/28)
お客様へ閉店のお知らせ
— 居酒屋 酔の助 【公式】 (@yonosuke_jin) May 15, 2020
平素は酔の助神保町店をご愛顧くださり誠にありがとうございます。
この度都合により5月28日をもちまして40年の営業を終えさせて頂くこととなりました。
皆様のこれまでのお引き立てに従業員一同心よりお礼申し上げます。
今月28日で閉店なんですか。今年3月頭に打ち合わせ後に行ったのが最後になってしまうのかな。閉店までにもう一度行けるかな。non-noの仕事でモデルの馬場ふみかさんを描いたのも酔の助さんで、でした。20代の頃からよく行かせてもらいました。お疲れ様でした。@yonosuke_jin pic.twitter.com/Db9YRwPyhK
— 江口寿史 (@Eguchinn) May 15, 2020
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学生の頃何度かお店に行きました。
最初は確か教授に誘われて行ったんじゃなかったかと。
懐かしい思い出です。ありがとうございました。
BSプレミアム『フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿』選「ビタミン×戦争×森鴎外」(5/28)
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(江戸時代、江戸では白米をありがたがるようになり、脚気になる者が多かった。玄米が主だった地方ではそういうことがなく、このため脚気は「江戸患い」と呼ばれた。地方出身者が江戸に来て脚気になり、故郷へ帰ると治るなんてこともあったらしい)
当時はすでに脚気の原因は白米中心の食事にある(精米される過程でビタミンが失われてしまう)ことがわかりつつあった。
海軍では麦飯やカレーライスを取り入れ、海軍軍医による論文も発表されていた。
しかし陸軍軍医総監である森林太郎は頑としてこれを受け入れず、他の陸軍軍医たちも森の手前、異論を唱えることが出来ず、陸軍では脚気に倒れる兵隊が続出した。
日露戦争の陸軍の脚気患者は25万人、うち2万8千人が死亡した。 戦死者の総数は4万7千人であるから、戦死者の半分以上はロシア軍にではなく、日本軍と陸軍軍医(とくに森鴎外)に殺されたのだ。
まさに「バカな大将、敵より怖い」を地でいった事案。
現在のコロナ対策における政府や専門家たちにも通じる案件である。