南アルプス天然少年団

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通りすがりの傍観者の足跡。

日曜なので、『龍馬伝』余話

坂本竜馬の婚約者で生涯独身を貫いたとされる千葉さな(1838〜96年)が、竜馬の死後、元鳥取藩士と結婚していたとする明治時代の新聞記事が、3日までに見つかった。
鳥取藩の文書から藩士の実在が確認されるなど、発見した歴史研究家あさくらゆうさんは「記事はかなり正確」としている。故司馬遼太郎氏のコラムなどから独身説が広く知られているが、記事は通説を覆すことになりそうだ。


10月4〜5日の記事によると、明治6年に横浜に移り住んださなが、定吉が剣術師範役を務めていた鳥取藩の元藩士山口菊次郎から求婚され、竜馬の七回忌も済んだことから受諾した。
しかし家格の低さもあり定吉が反対。「おまえの命はかつて竜馬の霊前にささげようとしたものではなかったのか」などと怒ってさなを切ろうとしたため、近くの商家が仲裁に入り、翌年7月に結婚した。
菊次郎の身持ちの悪さなどから、10年たたず離縁、千住に移り住み亡くなるまで再婚しなかった。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100703/trd1007031408014-n1.htm


『故司馬遼太郎氏のコラム』というのは、『余話として』(文春文庫)の「千葉の灸」の項。
甲府自由民権運動家・小田切謙明が、さな子の灸の世話になって縁が出来、謙明はかねて懇意になっていた自由民権運動の総帥・板垣退助より「坂本竜馬こそ自由民権の先唱者」との話を聞いていたこともあって、身寄りのないさな子を哀れみ、引き取った。
だから、さな子の墓は甲府にあり、墓碑には「坂本竜馬室」と刻まれている、という話。


それにしても、千葉定吉が、
『「おまえの命はかつて竜馬の霊前にささげようとしたものではなかったのか」などと怒ってさなを切ろうとした』
というのが、なんとなく想像上のキャラ通りで怖ろしいし、ちょっと可笑しい。
ちなみに、坂本竜馬の入門時には、定吉は既に鳥取藩(池田家。32万5千石)の剣術師範役となっており、道場は息子の重太郎に任せていたらしいので、小説やドラマと違って、竜馬に剣術を直接指南したのは重太郎らしい。
従って、定吉も重太郎も正確には鳥取藩士である(幕末の鳥取藩主は徳川慶喜の実兄・池田慶徳)。



ところで、『龍馬伝』には板垣退助がまだ出て来てないが、誰が演じるのだろう…?